創作短編小説『赤い正真正銘]』 ――11、赤いドロボウ猫――
11、赤いドロボウ猫
社長室に呼び出された日の翌日もさわやかに晴れ渡っていた。サクラもあと少しで咲くのではないか、と期待されていたが、未だ開花宣言は出されていなかった。
その日、小関は目を腫らして出社した。その眼球は真っ赤に充血していた。それは徹夜で仕事をしたためか、夜を通してうれし涙を流していたせいなのか、それは本人にしか分からなかった。
朝一番、その小関の顔を見るなり、元川が声をあげた。
「小関さんっ! だ、大丈夫ですか? その顔……」
「おい、おい、ホントだ。大丈夫か? 昨日、寝てないんだろ?」
その腫れた目を見た大木も思わず大きな声がでた。
「あ、大丈夫っす……。すんません、変な顔で……」
通勤中はなんとかサングラスでごまかしていた小関だったが、職場ではいつものメガネに戻さざるを得なかった。そんな小関の痛々しい顔をしげしげ眺めながら大木が進言した。
「昨日、社長から言われたよ。今度の新企画のプレゼンは、俺と元川でフォローに当たるよ」
「え、それは申し訳ないっすよ。二人は万博の他に、SNSもあるんだから……」
編成企画部は、いくつもの数多いプロジェクトを抱えていた。中でも最近主流のSNS等の情報発信を主とした「SNSプロジェクト」は非常に多岐にわたるだけに多忙を極めていた。そのプロジェクトも大木と元川が担当していた。数年前からは、さすがにこの二人だけでは手が回らなくなって、仕方なく宣伝部から当時新人の女性を助っ人に呼ばざるを得ないような状態だった。この助っ人の四谷は、若いだけにSNSに非常に明るいことで抜擢されていた。元川に負けず劣らずの美貌は、二人並んでランチを食べるときには多くの視線を集めるほどだった。
申し訳なさそうに困った顔をする小関を、大木は明るく笑い飛ばした。
「いや、たかだかあと二日だから、気にするな」
「そうですよ、先輩。困ったときはお互い様ですよ~」
元川の笑顔にはいつも救われる気がする小関だった。
「ところで、助っ人は全然いいんだが、その新企画の案はあるのかよ? もともとの部長の『TVショッピング』の企画はボツったんだろう?」
その日も部長の太田は来なかった。すでに誰もが太田のことなど忘れ去ったかのようだった。小関も太田のことなど気にした風でもなく、大木と元川の交互に顔を向け、満面の笑顔を見せた。が、目が異様に腫れているため「ちょっとコワいかも」と元川は内心引いていたのだが……。そんなことはお構いなしに小関は説明した。
「実は、前々から温めていた企画があったんですよね。でも、また部長の手柄にされるのがイヤで自分がメインになるまで温存していたんですよ。と言っても、ありきたりっちゃあ、ありきたりではあるんですが……。でもウチでは、まだやっていないかと……」
小関の言う「部長の手柄」とは、あまりにもお粗末な話であった。以前、太田がこともあろうか部下の企画を、あたかも自分の企画のように横取りした事例があったのだ。あげくのはては、太田は発案者として社長賞までもらい、手柄を独り占めにしたのだった。
それは「アンバサダー・プロジェクト」と呼ばれる企画だった。数年前から「発毛クリニック」ではいわゆる「アンバサダー」を大々的に公募していた。ありきたりな有名人や芸能人を使うのではなく、あえて実際の施術に通っている現役のお客様、およびOB・OGを抜擢したのだ。そのリアルな声をSNSを通じて発信してもらい、企業や製品の良さをアピールしてもらおう、との意図だった。この企画は大成功を収めるに至り、この企画の発案者として太田が社長賞を贈呈されることになったのだ。ところが、この発案者は実は太田ではなかった。本当の発案者は、何を隠そう元川と四谷だったのだ。
事の発端はこうだった。
――当時、SNSプロジェクトが忙しくなり、隣の宣伝部から新人の四谷が助っ人にやってきた。男ばかりの部署にいた元川も、かわいらしい妹分ができてよっぽどうれしかったのだろう。二人仲良く、まるで姉妹のように並んで楽しく会話をしながらSNS発信の仕事に尽力していた。四谷は元川のことを先輩達にならって愛称で呼んでいた。下の名前の千里(せんり)をもじってチリと呼んでいたのだ。
「チリさん、チリさん、みてください。このTwitter、今度「Snow Man」の目黒くんが東芝のテレビ「レグザ」のアンバサダーやるみたいですよ。かっこいいですよねえ~」
「あっ、ホントだ! ヨッちゃん、こういうの好きなの?」
四谷自身は「よつや」の名前そのままに、皆からはヨッちゃんと呼ばれていた。
「チリさんは、嫌いですか?」
「いや、嫌いじゃないけど、私はやっぱり光GENJIかな」
「古っ! 昭和かよ!」
「冗談よ、冗談。でも、確かにアンバサダーっていないわよね、ウチには」
「そうですねえ」
「以前は、和田アキ子さんとかがCMやってたから、それがアンバサダー代わりにもなっていたと思うんだけど、最近はCM自体も社長がやっちゃってるからねえ」
「チリさん、なんで芸能人でCMやらないんですかね、最近?」
「そりゃあ、コストがかかるからよ」
「あ、そういうもんですか?」
「そうなのよ。でも社長のCMばかりで飽きもきてるかもね? かといって素人にCMやらせるわけにはいかないし。頼みの発毛日本一コンテストのCMも、コロナの影響でWEB開催だからCMにはしづらいし」
「チリさん、いっそのことCMは無理でもアンバサダーとかなら、素人でもいいじゃないですかね? お金もかからないし」
「ヨッちゃん、それ、いいかも?! 他の企業ではアンバサダーをお客さんにやってもらってるところもあるのよね。本音の生の声を発信してもらうために……。そうよ、それよ! それいいかも!」
その時だった。突然、太田が二人の後ろから会話に入り込んできたのだ。太田は、たまたま二人の後ろを通りかかり、こっそりと聞き耳を立てていたのだ。
「そうや、その通りや!」
「ヒイヤっ!」
会話に集中していた二人が悲鳴に似た声を上げたのは言うまでも無い。
「ワシは、いつもそう思っとったんや。新しい企画で、アンバサダーを雇ったらどうか? しかし、コストはかけたくない。そうや、現役のお客さんや卒業したお客さんにお願いするんや。それこそ、生の感想、実際の声をアンバサダーとしてSNSで発信してもらうんや。近々、皆を集めて、そのプロジェクトを立ち上げよう思うとったところなんや。ちょうどいい、お二人さん、そのプロジェクトを是非やってみなはれ。カシラは、ちょうどSNS班の大木でええやないか。なあ? 大木はどこ行った? おい、大木、大木はどこや……」
よっぽどうれしかったのだろう。その時の太田の顔は赤く高揚し、目は血走り、声はいつもよりさらに大きかった。 結局、そのままSNS班が「アンバサダー・プロジェクト」もやることになり、発案者として太田が表彰されるに至ったのだ。もちろん元川や四谷をはじめ、多くの社員達は不服だったが、悲しいかな太田の前でそれを進言できる者は誰一人いなかった。ドロボウ猫とはよく言ったものだが、以来、太田は部下に「ドロボウ部長」と陰口をたたかれるようになっていた。しかし、それは自業自得と言うべきだろう。
ちなみに、そのアンバサダーの第一号が、何を隠そう船橋大志であった。――
https://x.com/tontatonta1002/status/1692313221259300961
https://x.com/tontatonta1002/status/1686959461678850048
そんな過去も今となっては薄っぺらいものだと思いながら、小関は大木に説明した。
「すでに昨日徹夜して、ペーパーは書き上げてきたんですよね、ここに……」
「やっぱり徹夜したのか」
「へへ、大丈夫っす。あとは、コレをプレゼン用に、動画にするだけなんですけど……。課長さま、ものは相談でございます! せっかくですから、その前に目だけは通していただきまして、ご意見を伺えれば、わたくしは大変ありがたいのでありますが」
「なに、急に? 気持ち悪いなあ。まあ、冗談はともかく、社長に指名された以上、我々チームで良いものに仕上げよう。でも、あくまでメインは……」
「ハイッ! 分かっております課長様。全ての責任は、このわたくし小関がおわせていただくであります……」
昨夜、興奮のあまり眠れなかった小関。まさか社長が自分のことをみてくれていたとは。小関は、そのことが心底うれしかった。何かが吹っ切れた。もう、迷う必要が無かった。全力で自分の企画をまとめることができた。仕事がこんなに楽しいものかと、初めて気付いた小関だった。
「チリ女史におかれましては、できますれば動画の作成、編集を助けていただけるとありがたいのですが……」
「それ、誰のマネですか~? まあ動画くらいは全然、朝飯前でござりますう~。小関大先輩様、かしこまりましたでございますう~。朝飯前に仕事を終わらせて、朝飯はマクドを頂戴したく存じますう~」
さすがに切れの良いギャグをかえす元川のパフォーマンスで大笑いする三人は、互いが強く結ばれていくのを肌で感じ合った。この結束がきっと大きな花を咲かせてくれるのではないか、と三人は心躍らせるのだった。それは、あたかも桜前線の通過を待ちわびる希望に満ちた人々のようでもあった。
〈つづく〉
*この物語はフィクションです。実在のあらゆるものとは一切関係ありません。
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注)以上は、鹿石のブログ『ダイ☆はつ Ⅴファイブ』より抜粋です。