歌舞伎町俳句一家「屍派」解散宣言
屍派を名乗り始めたのは震災の次の年の2012でありますから今年でちやうど10年目になるわけです。
10年といふと、生まれた子どもが小学4年生になるわけですからそれなりの年数といへるでせう。
育ちの早いガキなんかはもう色恋に目覚めてゐる齢です。
子どもが大人になるのだから、大人は当然老人になります。
組織の高齢化です。
俳句は体験がベースだと思うてをりますので、経験は大事ですが、慣れはいけない。
自戒をこめて、組織は順調なときこそ解散するべきだと考へます。
そんな中、突然の「砂の城」の契約打ち切りがありました。
お前らのやうなチンピラには部屋を貸すわけにはいかないと大家から一方的な手紙。
事実上の落城宣告です。
城の改装を終へたばかりの宣告でした。
改装にご協力いただいた皆様ごめんなさい。
特に多大なご支援をいただいてゐたY氏にはお詫びの言葉もみつかりません。
いろいろと継続する術も思案しましたが、前述の「滅びの美学」が僕の根底にはあります。
ピンチこそチャンス。
一度歌舞伎町を去る決心をしました。
「屍派」は歌舞伎町俳句一家ですから、歌舞伎町を去るからには「屍派」を名乗ることはできません。
つまらない理由ですが、解散の理由はこれだけです。
とは言へ、もともと「派」の意味するところは、運動体ではなく、運動自体を指す言葉です。
つまり歌舞伎町における俳句運動こそ「屍派」と呼ばれるべきものなのです。
一家としての「屍派」の解散は、文学運動としての「屍派」宣言でもあります。
母体としての屍派はなくなりますが、屍派としての俳句運動は巨人軍よりは不滅です。
これからも俺の俳句、思想は屍派なんだと大いに胸を張つてください。
今夜は楽しく飲みませう!レッツダンス!
令和4年10月10日、TOTO、便所の日に。TOTOが泣顔に見えるぜ。
初代家元 北大路翼