横浜の宝物、筒香嘉智へ
忘れられない光景がある。
2009年、7月。
横浜高校 対 横浜隼人高校。横浜高校が4点を追う8回、一二塁の場面で、その男に打席が回ってきた。
筒香嘉智。
世代最高のスラッガーにして、あの横浜高校の小倉部長に「私が見てきた20年でトップ」と言わしめる存在だった。
この屈指の打者を前にして、横浜隼人高校がとった戦術は、敬遠だった。一、二塁からの敬遠、それも4点差だから、何か間違いがあると追いつかれてしまう覚悟をもってしても、あの年の筒香は避けるべき存在だった。
その時。
筒香が、相手ベンチを睨みつけたのだ。
一緒にテレビで見てた私の父が言う。
「高校生で、こんな相手を睨みつけるようなことはしちゃいけないね」
確かに、そうかもしれない。
あの表情は、高校生という未発達な青さから来るものだったのかもしれない。
でも、私の感想は違った。
「高校生の立場で、敬遠をされて相手を睨みつけられるほど、野球に本気になれる打者がどれほどいるのだろう」と。
私は、あの時の筒香に「本物」を感じた。
ところで、2009年のベイスターズはご存知の通り暗黒時代真っ只中である。私はその2年前の2006〜2007年から野球を見始めたので、丁度ベイスターズの暗黒時代を通過してきた。
2009年に初めて「ドラフト」という制度を知った私は、その年のドラフトで、筒香の指名を心待ちにした。
その年の超目玉は、今もメジャーで投げ続けている菊池雄星。ベイスターズファンの間でも、菊池か、筒香かで随分盛り上がってた記憶がある。
ドラフト開始前に、加地球団社長が筒香の指名を公言した。そして、ドラフト翌日のスポーツ新聞で、筒香指名、それも単独での指名を知った時、私は思わずガッツポーズをした。あれほどの逸材を、なぜ単独で取れたのか、不思議なくらいだったのだ。
あの時から、横浜の運命は変わったのかもしれない。そう思うほど、私は筒香のファンだった。そして、私のベイスターズファンとしての道のりは、筒香と共にあった。
あまりに嬉しくて、今でも筒香が表紙の月刊ベイスターズドラフト指名選手特集号を大切に持っている。今見ると、「筒香若いな〜」と感慨に浸れること必至である。
1年目には初めてイースタンリーグ(当時は湘南シーレックス)に行って、飛ばしまくる姿を誇らしく眺めていた。
その後3年間、苦しみもがく姿もずっと見ていた。いつの間にか、横浜ベイスターズは、横浜DeNAに変わっていた。
当時の月刊ベイスターズに投書をしたのを覚えている。
「筒香は横浜の宝です。どこの球団にも行かせてはいけない」。私の名前は載ってなかったけれども、似たような投書が載っていて嬉しくなったのを覚えている。
初めてのAクラス、日本シリーズ、そして、私にとって初めての推しの球団からのメジャーリーガー輩出。筒香にはいろいろな夢を見せてくれた。彼は私の見立て通り、まごうことなき「横浜の宝」だった。
筒香。
実は、後一つ、見せてもらっていない夢がある。今度は、この横浜の地で最後の夢を見せてくれないか。
いや、一緒に見よう。
入団当時のガラガラのスタンドではもはやない。満員の轟くスタンドで、横浜を最高のチャンピオンにしようじゃないか。