老人と若人に申し上げたい、二つの世代が協力すれば凄い可能性があるよ その2
若者である自分から老人に言いたいこと。
それは、若者が表舞台に上がるには老人=先輩たちの引き上げる力が必要だって事。
若人の最大の価値は「社会知らずな熱とロマン」。
一方で、
老人の最大の価値は「歳を重ねて得た威厳と知恵の年輪」。
今の私が足りない事にフォーカスを当てるとすると、金と権力が欲しい!やりたい事がいっぱいあるのに、それがなかなか進まないんです。
これからの未来は若い世代が作るんだ、世代交代だって言葉があるけれど、若い世代が未来を作るんじゃなくて、老いの世代も一緒に作るんだ、と思うわけで、丸っと投げないでくださいよとか思います。
「もう余生短いから」とか「残りせいぜい5、6年だからいーや」って寂しい言葉。
そもそも人間いつ死ぬかわからないんだから、寿命を理由にするなんて、老人の逃げ口上だと思ってます。
その寿命だって誰が決めたんですか?余命2、3年の若者もいますけれど、彼らの前で同じこと言えますか?
何十年も働いて楽をしたければ、その選択はその選択でいいのだけど、実は最期の時まで大輪を咲かせて散って逝きたいのに「体力もないし、もう現役も終わったから」って理由で、世捨て人みたいな言葉を吐く人って、贅沢を勿体無く捨てているなって思う訳です。
人間がほんとに終わる時は、野望や夢を持たなくなった時。
終わってしまったのは、肉体でもなく社会的な立場でもなく、気力。
言葉で終わらせているのは、魂の叫び。
「年齢関係なく、本当はこれをやりたいんだ!」
いいじゃない!だって、行動したくてしょうがない自分みたいな体力自慢な人はお金がないんだから、そこに知恵とお金を授けてあげれば歯車が動くんです。
老人の持つ贅沢ってこんなことかなって思うことがあります。
それは、老人は「知恵とお金」=「ガソリン」と「威厳」=「操作免許」を持ち、背負ってきた「社会的責任」=「積荷」を下ろしている状態。
一方で目の前には「おっきいトラクター」=「肉体と体力」を持て余した若者が溢れている。
目の前には車があるんだから、社会に大きな花を咲かせる事だってできます。
「認知症が!ボケが!」
「人に迷惑をかけるから一緒にいられない」
こんな言葉をかけられる若者の気持ちを考えてみたことありますか??
言われてみて気持ちがいいと思いますか?
今この記事を書きながら思ったのですが、「言葉をかけられる」って、まさにその通りだなって思いました。
浴びたくないそんなネガティブまみれな言葉、まさに言葉通り。
本当に迷惑だと思ったら、根っこが生えた草木じゃないんですから、自分の足で他所に行きます。でも、まだそこにいるって事は、そんなあなたと一緒に何かを語りたいからなのに、「え、自分を遠ざけたいの?」とか思ってしまうわけでして。
「構ってもらいたい」
「かわいそうだと思ってもらいたい」
「慰めてもらいたい」
そんな惨めな事を思っているのであれば、それを好きでやってくれる人が他にいるので他所でやってください。とにかく、若さには限りがあるので、金がなくて不便だけど若いを楽しむので忙しいので、老人ホームをお勧めしておきます。〔ちょっと愚痴っぽくなってしまいました)
つまり、何が言いたいか??
ピンピンコロリ、何かを最期までやり遂げながら生きたければ、金と知恵と威厳でなんとか自分で頑張りなさい。
弱音を吐くから老人ホームに「類は友を呼ぶ」枠で呼ばれてしまうのです。
若い人は、まずは自分の軸を探してみましょう。占いはあながちバカにできないヒントをくれます。