ちりぬるを で恩師を弔う
2024年11月7日、愛してやまない椎名林檎さんのライブ『林檎博'24 景気の回復』に行ってきた。有給とって静岡のエコパアリーナ。
ずっとだいすきな椎名林檎のライブ。2回目のライブ。初めて行った渋谷でのライブは当時付き合っていた彼と行ったが、今回はひとり(別れたので)。
ライブ会場はカップルや友達同士で来ている人がたくさんいたが、私は今回はひとりで来てよかったなと思っていた。
今回のライブには特別な思いがあった。
今回のツアーは椎名林檎がさまざな歌姫とコラボしたアルバム(放生会)を出し、そのアルバムから多くの曲が歌われるんだろうな〜と思っていた(事前にセトリ見ない派)。
その中で、中嶋イッキュウとコラボレーションした楽曲「ちりぬるを」がある。アルバムの1曲目。
私はこの曲に特別な感情を持っている。
この曲は弔いの歌なのです。新しいアルバムにワクワクして初めて一曲目でこれを聴いたときの情景、感情をはっきりと覚えている。
これは、私の恩師を弔うための歌だ、と思った。
ネタバレにならないようにしたいが、ライブでこの曲のイントロが流れた時点でもうダメだった。ボロボロに泣きながらしっかりと目に焼き付けた。
普段、ヒーヒー言いながら仕事をなんとかこなして、その中で恩師はいつでも心の支えとして心の中に生きている。恩師を失って3年が経った。だんだんと、前向きに生きようと思って過ごせるようになってきた。だけど心のどこか深いところ、普段の出来事では簡単に開けられない暗い頑丈な壁の奥に「まっておいて行かないで。」と言う感情がある。このフレーズだけでブワッと蘇る恩師を失った悲しさがあり、素直に悲しめることができる。
きっとこのフレーズは大切な人を亡くした人、人だけでなく動物を亡くした人、失恋した人など色々な人に当てはまるフレーズだと思う。その普遍性が、ストレートな言葉が刺さった。
当たり前に、修士論文を指導してもらって、卒業して、一緒に仕事ができると思っていた。一緒にお酒を飲んで、仕事の愚痴や弱音を聞いてもらえる日を楽しみにしていた。
過度に欲していた。かなりきつい。今だって、かなりきついよ
亡くなった人がどう、とかではなく、あくまで自分本位の感情なのがまた良い。今となっては全部エゴだと思う。もっとたくさん話を聞いておけばよかった、もっと飲みに行けばよかった、もっと教えてもらいたいことがたくさんあった、行きたい場所があった。これは私がそう思っているだけであって、エゴだ。だけどこのエゴに素直でいることを肯定してもらえている気がした。
この歌詞は、本当に椎名林檎がうちの恩師に会ったことある?会って歌詞作ったんじゃないの?と思うくらい、私の恩師のことそのものだ。
あのひとはひとの具合ばっかり見ていた。
亡くなる10日前、病床でまともに文字も打てない状況でもなお、私の誕生日にメッセージを送ってくれて「今年もさらに充実した年を送れるよう、祈っています」と言ってきたのだ。もし自分が逆の立場なら、とてもじゃないけど他人の幸せを願える状態ではないと思う。
そして、亡くなる直前、最後にくれた言葉は「がんばれ!」という手書きのメッセージだった。
ひとのことばっかり気にして、愛をくれて、亡くなる直前ですら、ひとを勇気づけるひとだった。
死ぬこと。を、「有象無象の愛を飲み干して、霊感宿した。引き換えにあなたは命を差し出した。」という表現にできるセンスに脱帽。
ほんとうにあの人は愛の人なのです。研究者として、先生として以前に、愛の人。親以外にこんなに深い愛を人からもらったことがない。私も恩師を愛していたし、日本中いや世界中に恩師を愛している人がたくさんいた。
そして、まあまあ幸福だったと思っていて欲しい。
「まあまあ」というのが、また良い。志半ばで亡くなった人に対して「超幸福だったと云って欲しい!」はエゴだ。そんなわけないんだから。
きっとまだまだやりたいことがたくさんあって、志半ばだったと思う。だけど、いま、ワインでも飲みながら「ん~まあまあ幸せだったかな(笑)」と云ってくれていたら、私も幸せです。本当に云ってそうだし。
たくさん伝えきれなかったことがある。当時、私は恩師のことが大好きで大好きで、毎週の研究室が楽しみで仕方なかった(研究の進捗はさておき笑)。こんな大学院生はいないと思う。
だけど、恩師を失って3年たった今、前以上に大好きなのだ。
過去を美化しているのか、過去に縋っているのか、そうかもしれない。
自分が社会人になって、結婚すると思っていた人と別れて、業務に翻弄されて、いろいろな経験をする中で、「こんなとき先生だったらなんと言うかな」と思い出すたびに、ますます大好きになっていく。
この気持ちは、この先もきっと続く。ずっと大好きな気持ちをもちながら、自分の人生を生きていく。そんな思いがこの歌詞に込められていたらいいな、と思う。
私は私でなんとかやっていくから、ぐっすり寝てほしい。
「ちりぬるを」は諸行無常を表している、となにかで読んだことを思いだす。恩師の死で、諸行無常を実感した。人生は、はかなくむなしい。
でも、だからこそ、精一杯生きなきゃいけないなあと、椎名林檎のライブの帰り道に思った。
恩師のぶんも、とか、恩師のためにも、とかではない。明日かもしれない、いつか散る自分の人生を「まあまあ幸福だった」と言えるくらいには、生き抜きたい。という気持ちになった。
だから、これからも、恩師のことを思うときは「ちりぬるを」を聴くのだ。ちりぬるをに載せて、恩師を弔いたい。弔い、愛し続けたい。
余談だが、放生会は、弔いの歌「ちりぬるを」で始まり、祝いの歌「ほぼ水の泡」で終わる。
世界中生きとし生ける皆の衆へ乾杯!という超前向きソングを聴いても私が連想するのは恩師のこと。
つまり。どんな曲を作っても全部恩師にリンクされる、椎名林檎は最強ってこと!