言いたいことは言うようにした
私は、昔から根っからのポエマー気質。行ったライブの感想をダラダラとノートに記録したり、SNSで発信することが好きだった。コンテンツにすぐ感情移入をしてしまう。
そんな私だが、どんなに深く感謝しても、どんなにその人のことが好きでも面と向かってそれを伝えることが大の苦手。家族にも、一度も面と向かって感謝を伝えたことがないような天邪鬼。
だけど、それは24歳になったのを機に終わりにしました。
大好きで、大尊敬する人と会えなくなって1年が経とうとしている。その人は、恋人でも家族でも友達でもない。だけど、ただの「指導教員」「大学の先生」という括りにはされたくない。
会えなくなったのは突然で、コロナ禍でほぼオンラインでの会話だった時に急な知らせだった。最後にちゃんと会ったのは、8月に豊田市に行った時かな。
けど、会えなくなってもzoomでたくさんやりとりをしてきたし、messengerでもコミュニケーションをとってきた。私が研究構想発表会で教授陣にボコボコにされた時には「大丈夫!」と言ってくれた。進路に悩んでいる時「一生に悩みましょう」と言ってくれた。私のグラレコが雑誌に掲載されたときは私より喜んでくれた。私の就職が決まった時も自分のことのように喜んでくれた。
色々なところに一緒に行った。たくさんの研究会に連れて行ってくれた。そこでもらった言葉たちは絶対に忘れない。吉祥寺のカフェでケーキを半分こしたり、奈良県にも一緒に行って2人で泊まった。ケーキ屋さんで自家製ジンジャーエールを飲んだ。ゲストハウスの朝ごはんがおいしかった。誕生日にはメッセージをくれた。とあるコンテストに私たちが出た時は激励の言葉をくれた。コロナが流行りだしてからは、新幹線に乗るときに「マスクはありますか?なかったらあげますよ」と言ってくれた。そんな優しさの一つ一つが嬉しかった。コロナ前の飲み会では酔って大号泣する私を見て笑っていた。
こうして思い出を振り返っていたら、5年前からお世話になっていたんだなと思う。周りの同級生はみんな就職して、結婚した人もいる。時の流れの速さを感じたとともに、この大学生活のほとんどは、その人がいなかったら経験できなかったことばかりだったんだなと感じた。
こんなことを書くと、またポエマーだと言われるかもしれない。でも、今は身を持って感じている。「思ったことは、思った時に言ったほうがいい」と気づいた。今までの5年間、一緒に過ごしてきて思ったこと、そしてこれからのこと。大好きということ。全部を伝えることにした。ストーカー並みの長文になってしまったけれど。
私は、薄っぺらな言葉じゃ言い表せないほどその人に感謝をしている。いまだに、夜になるとその人のことを考えて泣いてしまう。
でも、それを言葉にしたことで、天邪鬼な私が少し居なくなった。卒業とか、就職とか、引っ越しとか、色々な変化があるなかで、その節目に感謝を伝えるのではなく、日常的に愛を伝える「バカくそ重い奴」になろうと思った。あとで「あれまじでキモかったよ」と言われて恥ずかしい思いをしても構わないと思った。
きっとこんな女は恋愛には向かない。