見出し画像

ちゃんとしたデザイナーからは嫌われる書体 “Arial”

ビジネスに役立つデザインの話

今回の話はビジネスに関しても知っておいたほうが良さそう。

「デザインについてはよくわからない」というのは、ある時点から、まあまあのディスアドバンテージ、不利なものになってきます。この時点とは、どういうときかと言うと競合が発生してきたときです。もともといるなら、はじめからデザインについての基礎知識はあったほうが有利です。なぜか? 競合がいるなら、見た目が良いほうが好まれるからです。そんなわけで、デザイナーではない方にもデザインの話は何かと役に立ちます。そんな話を紹介しています。ビジネスに役立ちそうな記事はこちらのマガジンにまとめています


ちゃんとしたデザイナーからは嫌われる書体 “Arial”

書体 Arial
source: Myfonts https://www.myfonts.com/collections/arial-font-monotype-imaging

Arial(アリアル/エイリアル)という書体をご存知でしょうか? Appleにしろ、マイクロソフトにしろOSに同梱されてきた書体なので、デザイナーではない方にもよく目に触れる機会が多かった書体ではないでしょうか?

書体:Arial(アリアル)
デザイナー:Robin Nicholas, Patricia Saunders
リリース:1982年
販売元:Monotype

この書体は、ちゃんとしたデザイナーにはまあまあ嫌われています。“ちゃんとした”という感じの悪い言葉の言わんとするところは、「使っている書体がどのような書体かわかった上で使っている」ということです。わかっててなお、Arialを使うとき、そこにどんな意図があるか、わたしにはなかなか推測できません。どんなところで使われているのかと言うとたとえばパリのメトロの歩行者用の通路のタイルで使われています。

Saint-AugustinとSaint-Lazareをつなぐ歩行者用のトンネルのタイル。おしゃれ!
source: https://fontsinuse.com/uses/8047/arial-mosaic-in-the-paris-metro

“Arial”が嫌われる理由

書体のデザインというのは著作権的に守るのがちょっと難しい制作物なんです。デザインを盗用しても分かりづらいんですね。それで名前を変えれば、一応デザインの盗用について法的には免れるみたいです。(国によりますけど)。しかし大手がそんなことをしたら、モラルの面でかなりブランドを下げることにはなるはずです。このArialという書体、「Helveticaに似ている」ということで非難されており、その背景には、ソフトメーカーがHelveticaのライセンス料を払わないでHelveticaっぽい書体を使えるだろうという意図があったのではないかとも推測されています。んが、実際は、IBMが自社のレーザープリンターに2つの書体をいれようとMonotypeという大手書体メーカーにコンタクトをとったのが、この書体ができたきっかけでした。しかしMonotypeは当時Helveticaのライセンスをもっていなかったので、独自に作る提案をMonotypeはIBMにして制作したのがArial。このあとに、「Helveticaは高いので似た書体を安く使いたい」というニーズに向けてある調節をします。ここでちょっとHelveticaとArialとArialが参考にしたとされているGrotesque215という書体を見比べみましょう。

一番上がHelvetica、二段目がArial、一番したがGrotesque 215
By Blythwood - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=73520434

「似てると言われれば、似ているような……」そんな気もしますが、そんなことを言ったら、似ている書体ってまあまあある気もしてきます。しかし問題の根はもっと深いんです。先に触れたある調節です。

書体の目に見えないデザイン「字幅」

書体のデザインという行為は、わたしたちが想像するよりもかなり労力のかかるものです。それがたとえ字数の少ない欧文であっても。その大変な労力がかかる理由の一つが「字幅」。あらゆる単語の組み合わせが欧文ではあるわけですが、文字だけデザインしても、単語として組んだときに違和感がないかどうかについて気の遠くなるような検証と調節がなされています(書体の価格にも、その労力は関わってきます)。そしてArialの字幅は、Helveticaとまったく同じなんです。下の図の数値が字幅です。

こちらがArialの字幅
画像引用:デザインの現場「タイプディレクターの眼」『「似た」フォントって』
こちらがHelveticaの字幅
画像引用:デザインの現場「タイプディレクターの眼」『「似た」フォントって』

つまり陰ながら非常に大変なクリエイション部分をArialは盗んでいる、と言えます。法的には問題がないけれど。これが「ちゃんとしたデザイナー」にArialが嫌われる理由です。デザイナーなら、されたくない行為の象徴とも言える書体なんです。法的には問題がないが、自分がした苦労をまると盗用される、というのは、なんとも悔しいものです。

Monotypeは、IBMにこの書体を作ったあとにHelveticaに似てるけど安いよ!と売り出す際にした調節というのが、Helveticaと字幅をまったく同じにするということでした。そしてこのうり文句に釣られたのか買ったのがMicrosoftでした。しかし結局MicrosoftがArialの開発やライセンスに払った金額はかなりの額であり、「安く抑えようとした」というニュアンスは一度差し引いて見てみても良い気がします。

パクリは悪か?

実のところ、パクリというのは、すべから悪かというとそういうわけでもなかったりします。たとえば、ウィリアム・シェイクスピアの作品は、ほとんどなんらかの原作があるものばかりです。Appleのプロダクトデザインには、ディーター・ラムスのデザインに酷似したものもあります。映画『ウェスト・サイド・ストーリー』はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』ですし。こういうものを良い感じ言うと「パスティーシュ(Pastiche)」と言います。オリジナルであることにこだわることって、プラクティカルな価値観からするとあまり意味がないともいえます。「すごくおもしろいものができるんなら良いかなー」という微妙な不文律があります。あと多分元ネタに迷惑をかけないってのも許されるか否かには含まれるのかもしれまあせん。

もちろん著作権や商標登録というのは、それを法的守るもので、パクリって、そういう意味ではすごくNGです。ちょっとしたパロディ(パスティーシュと本来同じ意味)として何かを真似るのは、ありっちゃありだったりします。どこから辺からだめになるのかというと「それを使って金を儲ける」と駄目になります。じゃなきゃハロウイーンのコスプレとか全部犯罪になっちゃいます。

このようにパスティーシュについては、グレーなので、名言はできないんですが、オリジナルにこだわることはなくても、許されそうな具合でやれたなら、「インスパイアされた」とかなんとか言ったり、影響は受けた、で済むかもです。その辺をすごくシビアにするとミュシャもゴッホもゴーギャンもロイヤルコペンハーゲンもマイセンもNGになりかねません。

Arial側の視点を観るとバランスが取れる

大曲都市さんという書体デザイナーの方も同じように「Arial大嫌い!」だったんですが、Arialをデザインしたロビン・ニコラス氏と同じ職場で働くようになったことをきっかけにニコラス氏にいろいろと尋ねて印象が変わったようです。大曲さんのブログに詳細があるので興味のある方はぜひ。わたしがおもしろいなと思ったのは、ニコラス氏がインタビューで「お金のためにどこまで芸術家としての信念を曲げられるのか?」というド直球な質問を受けたときの答えです。

「大きな組織と動いているときには、自分の信念を通すのが非常に困難です。デザイナーとして私が絶対に譲れない最低限の部分は、そのデザインが法的な問題をクリアするということ、つまり誰かのデザインの明らかな借用を避けるということです。」

https://tosche.net/blog/arial#more-291

法的な問題のクリア、というのはモラルの問題ではなく、リスクヘッジの考えです。そして組織で働くなら、モラルよりも法的な問題のほうが重要な場面は多々あります。そういう渦中のなかで、製作者が何を拠り所にするのか、という例を垣間見れて、言葉にはうまくいえないひとつのマイルストーンみたいなものがわたしの思考に置かれました。

ニコラスさんがひいたボトムラインは法的なもの

とそのマイルストーンには刻まれています。ときどきわたしはこの石に触れに来ることになると思います。

大曲さんのブログの記事はこちら。


Arialに気をつけよう

しかし、それでもやっぱりArialはすごくズルい。詳しい人しかわからない質(たち)の悪さがあります。その良し悪しはともかく、企業体やブランドを打ちだす側がArialを使うときに「何故に!?」という不信感が芽生えかねません(とはいえ、書体に詳しい人たちにだけでしょうが、それでも火種にはなる)。だから提示してくるデザインにこの書体を使うデザイナーがいたとき、その意図は確認したほうが良いでしょう。「Arialを使う理由な何ですか?」と。

いいなと思ったら応援しよう!

しじみ |デザインを語るひと
よろしければサポートをお願いします。サポート頂いた金額は、書籍購入や研究に利用させていただきます。