《建築のデザイン》 プリツカー賞を受賞した日本の建築家のひとり “伊東豊雄”
『建築と家具のデザイン』マガジン
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プリツカー賞
プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)は、いくつかある建築業界の権威ある賞のうちのひとつで、「建築業界のノーベル賞」とたとえられているのですが、わたし個人的には「アカデミー賞」のような華やかさがある賞なので、そんなタイトルにしました。
しかし世間的には、プリツカー賞は、ニューヨーク・タイムズで「建築家にとってこの賞は、科学者や作家たちにとってのノーベル賞のようなものだ」と書かれたことをきっかけに「建築業界のノーベル賞」と呼ばれています。建築業界には、このプリツカー建築賞以外にも、RIBAゴールドメダル(イギリス)やAIAゴールドメダル(アメリカ)があります。
1979年から始まり、今まで継続されており、日本人は今まで8人受賞していいます。
1987年 丹下健三
1993年 槇文彦
1995年 安藤忠雄
2010年 妹島和世&西沢 立衛
2013年 伊東豊雄
2014年 坂茂
2019年 磯崎新
今回は2013年に受賞した伊東豊雄氏について触れてみたいと思います。
伊東 豊雄(いとう とよお)
伊東豊雄(いとう・とよお、1941年6月1日生まれ)は、物理世界と仮想世界を同時に表現しようとするコンセプチュアルな建築の制作で知られる日本の建築家。「世界で最も革新的で影響力のある建築家の一人」と称されています(※1)。
プリツカー賞以外にも高松宮殿下記念世界文化賞、RIBAゴールドメダル、UIAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞2度、グッドデザイン大賞なども受賞しています。
略歴
1941年、父親が日本と日本統治時代の朝鮮を行き来して陶磁器事業をしていた関係で、朝鮮の京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。2歳頃から中学生までを祖父と父の郷里である長野県諏訪郡下諏訪町で過ごす。
東京都立日比谷高等学校、東京大学工学部建築学科卒業。
菊竹清訓設計事務所勤務を経て1971年(30歳)に独立。アーバンロボット(現:伊東豊雄建築設計事務所)を設立。当初は「White U」や自邸「シルバーハット」など個人住宅を中心に手がけ、安価でミニマルな作風で注目を浴びた。また消費社会に暮らし、物だけでなく生活空間まで消費する若い女性ら都市の「遊牧民」(ノマド)をテーマに、「東京遊牧少女の包(パオ)」といったプロジェクトを発表するなど、体を柔らかい膜のように包む建築などを構想し、都市を批評する活動を行った。
White U
White Uは、夫を癌で亡くしたばかりの伊東豊雄氏の姉のため設計した個人宅。1976年に東京中野区に建てられ、1997年に取り壊されています。
シルバーハット
シルバーハットは建築家の伊東豊雄の自邸。「White U」とは逆に、メタルを素材とした架講(かこう)で開放的な作品。1986年日本建築学会賞作品部門を受賞。構造は、鉄筋コンクリートの柱の上に鉄骨フレームの屋根を架け、コートの上部に吊らされた開閉可能なテントより通風・日照を調整することで、コートを半屋外の居住空間として利用できる。
2011年に、愛媛県の今治市伊東豊雄建築ミュージアムに移築された。
東京遊牧少女の包(パオ)
バブル期の都市でノマドのように生活する女性を想定し、制作された展示作品「東京遊牧少女の包(パオ)」(1985)。
1986(45歳)年、横浜駅西口に作ったシンボルタワー兼地下街換気塔「風の塔」は、無数の穴を開けた金属板(パンチメタル)と照明多数で構成された半透明な簡素な塔で、夜間は風などの周囲の気象条件に合わせて表面にカラフルな光が浮かび上がるようプログラミングされており、金属板の斬新な使用方法や環境に対する相互作用性で注目を浴びた。
横浜風の塔(1986年)
横浜駅西口にあるロータリーの中央に建っている地下街のための換気塔。換気塔に吹き付ける、風の強さや向きによって光を変える。
1990年代に入り、「せんだいメディアテーク」を代表として、次第に構造上でも実験的で、なおかつ官能的な外観・内部空間を有する作風に移ていく。
せんだいメディアテーク(2000年)
せんだいメディアテーク(Sendai mediatheque)は、宮城県仙台市青葉区にある公共施設。定禅寺通り沿い。仙台市民図書館、イベントスペース、ギャラリー、スタジオなどからなる。2001年(平成13年)1月に開館した。特殊な構造の建築物であり、建築家の伊東豊雄の代表作品の一つ。
2006年(55歳)には王立英国建築家協会よりRIBAゴールドメダルを受賞するなど、世界でも重要な建築家の一人とみなされるようになり、2013年(72歳)にはプリツカー賞を受賞。また、設計する建築のための家具の設計も行う。後進の建築家を多く輩出する教育者としても高い評価を得る。
2010年(69歳)には愛媛県今治市大三島町に今治市伊東豊雄建築ミュージアムを開設した。
伊東 豊雄のその他の建築
TOD’S表参道ビル(2004)
イタリアのブランド「TOD'S」社の日本市場本格参入拠点となる旗艦店。表参道のシンボル・ケヤキを抽象化したコンクリートの構造フレーム。2020年グローバル・ラグジュアリー・グループ、ケリング(Kering)が新社屋として、「ケリングビル」となる。
バロック・インターナショナル・ミュージアム・プエブラ(2016年)
WITH HARAJUKU(2020年)
WITH HARAJUKUは、JR原宿駅前に建つ、店舗やレストラン、集合住宅などからなる大型複合施設。
まとめ
伊東豊雄氏のWhite Uは1976年に竣工した建造物で、約半世紀前のもの。しかし現代にみてもなんら古臭く感じるところのない作品であることに驚きます。建築にも流行というものや技術の進化にともなった潮流はあるのだけれど、時間によって風化しない「デザイン」が多くあるような気がします。
脳科学者、中野信子さんとの対談もおもしろいので、ご興味があるかたはぜひ。リンクを下に記しておきます。
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参照
※1