聖地巡礼
大学時代の友人が亡くなった。専攻が同じで、4年間を共に過ごした仲だ。大学4年の冬には、ふたりでヨーロッパ旅行に行った。ローマ、パリ、ロンドンの順に3都市を周遊したのは懐かしい思い出だ。その友人のお連れ合いから、葬儀からちょうど1か月後に連絡があり、そのヨーロッパ旅行の時の写真の撮影場所を教えてほしいと頼まれた。お連れ合いは友人の生前から写真の整理をしていたということで、本人から聞いて大体はわかるのだが、ただその当時の彼女の記憶も曖昧で甚だ心許ないので、ぜひ確認してほしいという依頼であった。
44年前のことであるが、旅行のことはしっかり記憶しているし、写真も押し入れの奥に保管してあるので了解したが、私はその依頼に違和感を持った。お連れ合いがそんなことを知りたがる理由が不可解だったのだ。これはローマ、これはパリと都市名がわかれば十分ではないかと思った。他の友人にそれを話したところ、彼はその場所を訪ねるつもりなのではないかと推測した。言われてみれば単純な話で、それ以外、撮影場所を確認する理由は考えられない。そしてそれは正にその通りで、確認して連絡した後のお連れ合いからのメールに、いずれ彼女が旅した場所に行くつもりだと書かれていた。だが、それを知って私はさらに混乱した。そんな行為は私にとって想像するだに恐ろしい。今はもう亡くなった人が、かつて旅した地を歩いたところで、その人の不在を再認識するだけで、悲しみが深まるばかりではないか。私なら、むしろそこは避けたい場所となるだろう。百歩譲って亡き人を偲んでの旅をするとしたら、二人で訪れた思い出の場所を訪ねることにする。例えば新婚旅行の地など、二人にとっての思い出の場所を訪ねるのならまだ理解できる。亡き妻とその友人との旅行先、しかもそのヨーロッパ旅行は二人が出会う3年余り前の出来事だ。また、私なら、二人で共に暮らした住まいこそが最もその存在を偲ぶことができる場所で、二人で散歩した近所の公園とか、また二人でよく行ったレストランとか、二人が日常を過ごした場所こそが大切で、そこを離れて遠いヨーロッパに行きたいとは思わないだろう。
胸の中に澱のように沈んで固まった違和感が気にかかって、娘に話したところ
「それは、妻推しだね。お母さんだって、ここが、BTSのテテが日本に来て立ち寄った油そばの店だよ、と聞いたら行きたくなるでしょう。もはや、そういう感覚なのでは?」
という答えが返ってきた。そうか、妻推しかと、確かにそうかもしれないと思わないでもなかったが、今一つしっくりこない。アイドルは基本的には二次元の存在だ。勿論ライブで会うことは可能だが、それでも広大なスタジアムの中で巨大なスクリーンに映し出された姿を見るのが精々だ。とはいえ、自分とは決して交わることのない二次元の存在が、この空間にいたという事実をその場で実感することで、たとえ時間を異にしても、三次元の存在としてのアイドルを感じる喜びはあるだろう。しかし、妻は今まで時間も空間も、いわば四次元を共有してきた存在だ。今生きているアイドルを感じる喜びと、亡き妻を偲ぶ思いとは同列にはならない。やはり違和感は消えることはなかった。
それから1か月ほどが過ぎたころ、美容院に行った。担当の美容師さんは娘とほぼ同じ年頃の男性だ。四方山話をしていて、ふと最近亡くなった芸能人の話になった時に、友人のことを思い出し、彼に聞いてみた。愛妻家の彼なら、私とは別の視点から、そのお連れ合いの気持ちが理解できるかもしれないと、聞いてみたくなったのだ。すると、彼は
「まるで巡礼のようですね。」と一言、言った。 そしてその巡礼という言葉を聞いた時、私の中にあった違和感はするりと氷解した。そうだ、聖地巡礼だ。アニメやアイドルゆかりの地を訪ねることを聖地巡礼と呼んでいるが、そうではない。こちらは正真正銘の、本来の聖地巡礼だ。
人々が神の奇跡を求めてルルドを訪れるように、彼も何かを求めて、かつての妻の旅行地を訪ねるのだ。ルルドを訪れる人の大半が、訪れることによって自分に奇跡が起こるとは思っていないだろう。だが、その奇跡の地を訪れることで、神への愛を深め、神との絆を強めるのだ。彼にとって亡き妻はもはや神であり、その神となった妻との絆を深めたいと彼は願っているのだ。神というのは大仰かもしれないが、死者を崇めるのは世の常であるし、まして愛し愛された存在は神以上に尊いものである。お連れ合いの行動は正に本来の聖地巡礼なのだ。
愛し愛された関係と言えば、私にとって一点の曇りもなくそう言えるのは母である。世の中には母親との関係に軋轢が生じて苦悩する女性が多くいて、むしろ、そういうあり方の方が健全という気すらするのだが、私は幼時から今に至るまで、恋するように母のことが好きだ。その母は、私が52歳の時に75歳で亡くなった。愛する母が亡くなったことによる喪失感は大きなものだったし、あと10年でいいから生きていてほしかったという切実な思いは今もある。
ところで、その母の死後数年を経たころ、私は高村光太郎の智恵子抄の一節をふと思い出した。
――あなたはまだいる そこにいる あなたは万物となって私に満ちる――
(智恵子抄 亡き人に)
そして深く納得した。母は万物となって私に満ちている。母は風であり、光であり、雨であり、そして私自身である。そう思った時、静かな幸福感に私は包まれた。
愛する人を亡くした喪失感と哀しみを癒やす方法は人それぞれだろう。彼がいつか、ローマ、パリ、ロンドンと旅しながら、亡き人を思う幸福感に満たされるときが来ますようにと祈ってやまない。(2023/1/20)