文字を見る

 父は達筆であった。釣果を魚拓にし、その脇に筆で何やら文章を書いていた。それを茶の間の壁に貼り、家族は常に眺めさせられた。魚はもちろん、太公望が魚拓にしたくなるほどの大きさで見事であったが、何の魚か忘れてしまった。また脇に書かれていた文言も、今では正確に思い出せない。母は自分の悪筆を嘆いていて、学校からの通知の返信を書くのは父の役目であった。父の角ばった文字は、力強くもあり繊細でもあった。その文字のように、父は気が強く、その一面繊細なところもある性格だったのかと言えば、そうだったような気もするし、そうでなかったような気もする。私は高校卒業後、実家を離れてしまったし、父は定年退職後、直に脳梗塞で倒れ早くに亡くなったため、私は大人として落ち着いて父と話した経験がない。だから
父がどのようなタイプの人間だったか、残念なことによく知らないのだ。

 ところで私は役所で福祉関連の仕事をしている関係から、多くの子どもたちの書いた文章を見てきた。字は体を表すとか、書は人なりとか、子どもの頃、そんな言い方をよく聞かされた。そのせいか、伸びやかな文字を書く子にはなんとなく安心し、常識を超える文字や書き方をする子に対しては不安感を持つのが常であった。もちろん、それは私の単なる感覚であって、それによって子たちへの対応に差があるわけではないが、スペースの中、一面に異様に細かい字で書き連ねられたものを見たら、人は誰でも警戒心を持つだろう。そのような異常性を感じさせる文字を書く人と、長年書を嗜んでいます、というような文字を書く人を除いて、学校教育の中で文字を身に付けてきた人の場合、文字はその人となりを多少なりとも反映しているとような気がするのだ。

 もう20年以上も前のことになるが、コンビニで食料品を万引きした12歳の男の子が万引きの理由を聞かれて、こんな文章を書いていた。
――いえにかえっても、だれもいない。しかたがないからネコにはなしかける。はらへったなあ。何かないかな。れいぞうこをあける。何もない。またネコにはなしかける。おまえは何かくったのか。することがないから、ネコをだいてねた。—―
がっしりした体つきの粗暴な態度の子で、扱いに手を焼いていたが、怯えているような文字に胸を突かれた。ただ一つほっとしたのは、濃い鉛筆で一文字一文字しっかり書いていたことだ。この子はその後、家出していた母親が戻って家庭が安定すると、落ち着きを取り戻していった。

 またこれは十代の頃の話だが、友人の一人が、クリスマスに愛を告白されて交際を始めていた男性から、翌年2月の雪が降った日の翌日に手紙を渡された。
――僕は筆不精で手紙を書くことなどないのだが、降る雪を見ていたら、君に手紙を書きたくなった。―—
という出だしのロマンチックな内容だったのだが、彼女はその手紙を読んでから1週間後に彼に別れを告げた。極端に右上がりの神経質そうな文字に、どうしてもなじめなかったことと、決定的だったのは「僕」という漢字の横棒が1本足りなかったことだ。
「その誤字が許せなかったの、生理的に。」と彼女は言っていた。今ではもうこんなことは起こり得ないだろう。

 そう、今ではもう起こり得ないだろう。なぜなら恋人に手紙を書く人はもういないから。また手紙を書く人がいたとしても、それは打たれた文字になったから。右上がりの文字も、「僕」という漢字の誤りも生じない。手で鉛筆なりペンなりを持って、文字を書くという作業が私たちの生活から消えつつある。学校教育の中ではまだ残っているが、それも次第に消えていくのかもしれない。子どもたちはタブレットをもって、そこに文字を打つのだ。文字は書くものではなく打つものになりつつある。
 文字の巧拙を問われなくて済むのはよいことだが、その一方、なんとも寂莫たる思いに誘われるのは私だけであろうか。父の思い出はたくさんあるが、父の文字も大切な思い出の一つだ。友人たちも顔かたち、名前と一緒に、それぞれの書く文字もしっかりと記憶の中に刻印されている。温かく丸い文字、こなれた大人の文字、のびのびとゆったりした文字、これ以上ないほどに丁寧で、愛そのままにという印象の文字。顔かたちがそれぞれ違うように、文字もそれぞれ違って、それがまた楽しい。文字を見る楽しみが失われていくのは本当に残念だ。残念だが、それも時代の流れでいたし方のないことなのだろう。ぐずぐずと諦めるしかないか。

 さてここまで書いてきて、いや、打ってきて、ふと父の魚拓の文言の1節が口を衝いて出てきたので、検索してみたところ、その出典が判明したので、お知らせしよう。秋田追分という民謡の一節であった。
―― 大海の水を飲んでも鰯は鰯、泥水飲んでも鯉は鯉 ―—
と、確かに書かれていた。もっと格調高い漢文の一節か何かと思っていたので、拍子抜けして、笑ってしまった。そうか、あの魚は鯉だったのか。
 父は何を言いたかったのか。どんな環境にあろうとも、人は矜持を持って生きよと伝えたかったのか。今となっては知る由もない。ただ父の文字が私の脳裏に映し出されるばかりである。
                                            (2023/2/15)

  

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