自分史的なクリッピング史料
大好きな相撲も琴桜の初優勝で終わった。豊昇龍も大関として見事な場所だったと思う。何せ千秋楽での相星決戦だったのだから。二人に横綱待望論がすぐさま出ているけど、いい意味でプレッシャーになればいいけど、いつも周囲は期待しすぎなのかも知れない。横綱になるには、絶対的な力が必要な気がする。柔軟な相撲の印象のある大鵬、憎たらしいほど強かった北の湖、ウルフと呼ばれて小柄ながら前みつをひき付けて相手の腰を浮かすほどの相撲を取った千代の富士、そして何かとお騒がせな白鵬など、やはり強さが際立っていたと思う。あれ?貴乃花はと言われれば、勿論強い。だけどファンも多くて、正攻法の相撲を柔軟にとったばかりに憎たらしいほどの強さが印象として浮かばない。けど大横綱には加えなければならない存在。個人的にはファンだった一人としてコマーシャルでのふるさと納税、やめて欲しいなぁ・・・できれば・・・。
さて相撲もさることながら、競馬のジャパンカップではドゥデュースが見事にG1連勝、そして5勝目をあげた。逆襲の末脚は健在。5歳になってから強くなった気もする。鞍上の武豊とのコンビは今後も語り継がれるだろうと思う。最後の有馬記念も勝って欲しいなぁと思う。強さと言えば、斎藤知事もやはり鋼のメンタルの持ち主ではないだろうか。公職選挙法違反の疑いでまたまた揶揄されているが、早く真相を明らかにして、スッキリさせて欲しいと思う。
2024年11月23日 朝日 歴史のダイヤグラム 双葉山が崇拝した璽光尊
大横綱と言えば、元祖は双葉山ではないだろうか。勿論それ以前にもいたかもしれないけれど、個人的には双葉山。このコラムも大好きなコラム。既に新書も発刊されてもいて、クリッピング史料として読む価値のあるものだと思う。当然ダイヤグラムというタイトル通り、鉄道との関連満載の記事だ。
出だしは、1946年12月14日、45年に引退した双葉山が、博多発東京行きの夜行急行に乗っていたというくだりから始まる。双葉山は現役時代から大宰府に道場を持っていて、相撲の指導に当たっていたけど、14日になって、妻子や弟子たちを残したまま、道場を出る際に「相撲に未練はない」と電報を打ったとある。
双葉山は滋賀県・米原で15日の昼過ぎに下車し、北陸本線の普通列車に乗り換え、19時44分着の金沢で降りた。ホームに着くと、人力車に乗り、市内の某家に行った。その家には、璽光尊と呼ばれる女性がいたと。この女性に会いに行ったのだ。囲碁の名人、呉清源から、天照大御神の御神示をつたえる偉い人がいると紹介されたとのこと。
でもこの偉い人は、東京で借りていた家主とトラブルになって、11月30日に金沢に「遷座」したと。東京にいた双葉山は偉い人の見送りをした後、いったん大宰府に戻ってからこうして後を追うように金沢にむかい璽光尊と合流したとある。当時「淫祠邪教」に敏感だった警察が璽光尊をマーク。47年1月21日、金沢で逮捕されたと。この際、双葉山も暴れ同じく逮捕された。
後に双葉山は回顧した際に、「教育のない悲しさ」とでもいおうか、という発言をしている。「すっかり渦中に巻き込まれてしまった」と。この文中で敗戦に続いて昭和天皇がいわゆる人間宣言をしたことは、双葉山に巨大な精神の空白をもたらしたと記してあり、筆者は結びで、優勝の度に天皇賜杯を授与された双葉山にとって、天皇に裏切られたという気持ちも大きかったのではないかと推察している。
どんなに強くても自己の精神を維持・安定させるために、時に他者をよりどころとすることもあるんだろう。そういう他者が自己を強くしてくれているとも思える訳だけど、強い自分を築くのに、時代背景やその周囲の心情などなど、複雑な要素が多いとは言え、自分の意思・考えと共鳴できる他者の思想や思考などよりどころにすること時代は誰もが持ち合わせているものだと思う。さて、自分の現在のよりどころは何なのだろうか。檀家でもあるけど信者ではない。宗教の意味や意義をひたすら探っている年齢であり自分であることは間違いないけど、先ずは自分が自分で納得できないと前に進めないたちなので、とにかく一人であがいてみる(それはそれで結構楽しい)とい状況だろうか。