見出し画像

自分史的なクリッピング史料(番外編)「父の闘病記」

今週末から大相撲が始まる。琴桜、豊昇龍、両大関にとっては大事な綱とり場所。大の里の巻き返しにも期待したい。さてゆっくりと味読している父の闘病記。本日は「3.貯尿について雑感」とタイトルがふされている前回の続き。

「尿の量など普段は殆んど考えていないが、放尿が自由にできるようになると貯尿袋に一日の尿を貯えるノルマが与えられる。初めて知ったことであるが成人男子で私の場合、1000~1500CC、毎日である。そして一回の量は約200CCで一日に5~7回の放尿量である。

つまり、人間の身体の90%を占めるといわれる水の量があるなかで、これ程、飲食のため口から入り、時間差はあるものの放出される。点滴をしていると、そのためにも尿がふえる。だからトイレの問題は死活の問題である。

K大名誉教授のN先生はトイレ博士といわれる程の著名人で著書も多く、現在大田区西馬込の郷土資料館の館長をしておられる筈で、私も本年6月頃に、世界トイレ展が資料館で開催された折、見学に行ったことを覚えている。

貯尿の袋には目盛があり、下図(イラストが描かれている)の如くになっているが、この形の完全な容積を計算式でどのように求めたのか。昔砂収集袋で似たケースで積分に数式化を試みたことを思い出す。」

まあ理系の人なので、結びの言葉は父らしい。きっとベッドに横たわりながら、色々なことが気になっていたのだろう。トイレに行けるようになってから、病院の窓からみる景色などを蛍光ペンなどをつかって彩りながら、よくメモ帳に描いていたような人だから、とにかく退屈が嫌だったのかも知れない。何か頭の中で思ったこと、浮かんだことをこうしてテキストにしなければ気が済まなかったのだと思う。日々過ごす中で当たり前の行為にもいざ病に伏して関心をむけると、ついには積分にまで行き着くというところが、博士の愛した○○的な頭脳だったのだろうか。

父はザ・昭和の人だったから、タバコもよく吸っていた。いわゆるチェーンスモーカー。幼い頃の自分は小児喘息と言われ、身体が弱かったせいもあり結構家にこもるタバコの臭いが苦手ではあったが、母もタバコだけは父に何も言わなかった。くそまじめな人だったから、ゴルフなどもやらず、ひたすら土日でも資料作りをしていた(プライベートなものも含まれる)。そんな父と母で中学1年の夏休みに那須に旅行に行った。高校1年となった兄は当然一緒に行くことなどなく、家で一人のんびりしていたのだと思う。

サッカーに夢中になっていた自分は、その旅行中にホテルで”三菱ダイヤモンドサッカー”が観たくて放映されるのかがとても気になっていた。当時夜10時からの放映だった記憶があり、布団で観ていると、スポーツにはとんと興味もなさそうな父が一緒に観ていた。そしてその放映された試合は、オランダ・ヨハン・クライフの試合。74年のワールドカップの一次リーグだったか二次リーグだったかは忘れたけど、クライフが左サイドからのセンタリングにジャンピングボレーでゴールしたシーンを本当に珍しく父も興奮し、凄いなぁと言っていた気がする。多分普段はそんな興味もないことでも、もしかしたら、観ているうちに気づきというか、思うところがあったのだろうと思う。スポーツ観戦と放尿量とでは到底結びつけることはできないけど、とにかく大人になってから父の態度や姿勢をみると世迷言に悩むよりも目の前にある事象一つひとつに興味や関心を抱いていたと思うと感心するばかり。


いいなと思ったら応援しよう!