自分史的なクリッピング史料
昨日は雨の合間をぬって犬の散歩に出かけた。最近はめっきり時間、距離共に長くなってきて1時間はかかる。そうしないと余りに家で元気すぎて、暴れまわるからでもある。大体4~5キロ弱散歩するけど、外での犬の様子は元気そのもの。でも家に帰るといつの間にか静かに2、3時間寝てくれる。
昨夜は犬が遊んでいる時、興奮して噛んでいた綱引きのように引っ張ることができるおもちゃが血だらけになってしまい、前歯が抜けていた。直ちにかかりつけの獣医に電話すると、乳歯だから心配はないとのこと。ネットでみると放っておくのは危険とも書かれていたので。さてこうした狂気は、犬の世界だけではなく、大国・アメリカは大統領選を控え、トランプ界隈が賑やかだ。なんとトランプは、Tik Tokを開設し、そのフォロワー数はあっという間に、現職のバイデン大統領のフォロワー数を凌駕し、300万人を超える数にのぼっているという。今後も大統領選が近くに連れて熱狂に包まれていくのだろうか。
2024年5月25日 朝日 読書 売れてる本 群集心理 ギュスターヴ・ル・ボン
以前NHK・Eテレの番組、『100分de名著』を視聴し、武田砂鉄がこの本の解説をしていて興味深く視聴した。そうか面白そうだなぁ、と思ってふと社会人になった文学部出身の次男がくれた蔵書(と言っても授業で利用していたもの)の中にこの本があり、時間がある時にしばしば目を通している。多分バラバラに読んではいるけど、一応全て読んではいると思う、この記事では再びこの本が注目されて売れているという。
冒頭で、アラブの春、安保法制反対デモ、アメリカの議会占拠、ガザ侵攻と21世紀に入って多くの群衆をかいまみることができるけど、19世紀末にも群衆の時代はあったのだと始まる。「社会の古い支柱が交互に崩壊」した時代であったと。その原因を人々の心に求めたのがこの本だと解説。
群衆、すなわち有象無象の人々からなる集団は、「大衆」や「マルチチュード」など様々な呼称がある。ル・ボンが描く集団は徹頭徹尾、無思考な存在だと。今のトランプ支持者たちの相変わらずの熱狂は、実は無思考な群衆に支えられているのだろうか。日本でも政治の世界では何十年と、正直、消極的選択がとられて、自民党が選ばれているに過ぎない。という意味では深い意味ではやはり無思考な群衆の存在があると言えるのではないのだろうか。
ル・ボンが描く群衆は、相互に感染し、感情と無意識によって支配される。そして群衆を動かすのは事実ではなく、それがどう知覚されるか出会って、いかなる理性も通用しないと記されていて、今風に言えば同調圧力の塊。
こうした群衆は、英雄的にも、犯罪的にも行動するばかりか、指導者の威厳にも従順に従おうとすると。ちょっと怖い。やはり、稀代の政治家たち、ムッソリーニやヒトラー、ローズヴェルト、ドゴールといった人たちは断言と反覆で群衆をリードしてきた。
社会心理学や社会運動論を学ぶ際には、もれなく参照される本らしいけど、ル・ボンは独学の人で、分かりやすく断言調の比喩や事例をあげる、人種概念の多用、矛盾した記述など、同時代の知識人だったデュルケームやフロイトなどと比べても、幼稚かつ稚拙するぎるとコメントされている。よく見れば、同志社大の先生がコメントしているので、学術的にもこの本の課題は十分熟知されているのかもしれない。
そして断言と反覆の術を見つけたのは他でもない著者、ル・ボンだったと先生は記している。だからこそ、出版当時にベストセラーとして読者層という群衆を巻き込むことができたのだと。それは群衆の力を恐るエリートのみならず、群衆を嗤う人々にも支持されたのだと。「下層民が主権者となり、野蛮人が進出してくる」といった時代認識は今も昔も変わらないと締めくくられている。確かにトランプ現象・旋風はこうした類なのかもしれない。
ニュースというのは一部のスターや富豪にしかスポットは当たらず、それがあたかも代表的な人物であるかのような錯覚を特に海外の記事では思われがちになってしまうけど、その他大多数のそれ以外がいることを忘れてはいけない。日本は相変わらず、サイレント・マジョリティが多く、特に政治の世界への影響は薄いし、今後も濃くはならないだろう。自分は選挙投票に行くけど、家内や息子たちは全く無関心。「どうせ、ねぇ」という感覚が日常的に敷衍するとやはり怖い気もする。いずれにせよ、この本、一読の価値もある古典。完璧ではないにしろ、手元に置いて(実は手元に置くことが大事だと思う)パラパラと雑誌の記事を読むくらいのつもりで眺めてみるといいと思う。