自分史的なクリッピング史料

昨日はイスラエルがイランを爆撃したというニュース。イランも再度報復するかもしれない無限の連鎖状態。中東地区のこうしたせめぎ合いは今に始まったことではないけど、指導者の強い個性によって、より温和な、ある意味妥協的な落としどころを探るというのでは一国のリーダーとしての矜持が許さないのだろうか。「もしトラ」を懸念して日本からかも副総理が渡米してトラと面談するらしいし、外交というのは難しい。そもそも育った背景や文化の違いからも交渉というのが成り立つのだろうか?といつもながらに思う。会ったという事実が大事なんだというタクティクスを使いがちだけど、宗教という別次元もあるから・・・・。

2007年 日経産業 大胆交渉原則曲げず 白州次郎の流儀

この記事では当時にわかに流行った白州次郎の話が。吉田茂首相の右腕としてGHQと渡りあったと評価されている方。物怖しない主張と、相手方内部の対立を巧みに利用という、彼独自の振る舞いというかアクションが評価に値するという。

1945年のクリスマス。白州はGHQトップのマッカーサー元帥の元に昭和天皇からのプレゼントを持参したとある。「その辺に置いてくれ」というマッカーサーに対して「日本の統治者からの贈り物に対して失礼」と逆鱗して言い放ったとある。マッカーサーは直ぐに謝罪したらしい。

白州次郎は、「西洋人と付き合うには全ての言動にプリンシプルが必要だ」と主張していたらしく、それはマッカーサーに対峙しても曲げなかった。GHQとの交渉窓口であったことは今では広く知られているとは思うけど、英国留学で培った英語力で占領政策の前面に立ったのだから、どれほどの器量が必要かは想像に難くない。その白州でも、言葉のニュアンスなど細かい食い違いがあってはならないから「指示は全て文書にしてほしい」と要求したらしい。自分も若かりし頃、初めての米国出張で英語が全く聞き取れず、超恥ずかしい思いをして帰ってきたことがある。だから分からない内容については言語で書面で確認していた。

白州は納得がいかなければ、常にWhyと尋ね直し、GHQからはMr.Whyというニックネームがつけられたが、その後GHQからも高く評価されるに至ったとある。当時の日本政府幹部はその場でのやりとりをせず、一度持ち帰った上でGHQの指示には従わないような「面従腹背」が多かったことから、白州のスタイルは際立って映ったらしい。今での「面従腹背」は文化として残っているのでは?と思いつつ。

実質、GHQ案が日本国憲法になったことは今でも議論されるし誰もが知るところではあるけど、戦勝国側の立場と敗戦国では余りに立場が違うので、白州は交渉を真正面からしたところで勝ち目はないと思い、相手方の内部対立を利用することを思いついた。日本に社会主義的な色彩の強い政策を強制しようとする側と米ソ対立に備えて日本の国力回復、独立を優先しようとする側の対立だ。これを利用した。

そして一方のリーダーを懐柔することに成功し、もう一方のリーダーの追い落としに成功し、1951年、サンフランシスコ平和条約締結により念願の独立の道を開いた。業師という他ない。今でいうインテリジェントワーク。

白州の分析では、「どんな喧嘩でも必ず勝つ方法があると信じていた」とコメントされる識者。「何か勝つための脇道はないのか?」とあらゆる可能性を探ることにこそ、白州の真骨頂が垣間見える。白州の情報網ではマッカーサーとトルーマン大統領の対立をも情報として掴んでいたとある。

その後白州は貿易庁長官に就任し、貿易立国を訴えて、後に商工省から通商産業省への組織改正に関わった。「戦争に勝った外国から金を集めるべきだ」という正論を主張して。何か現代でも通じる話だ。以前地方創生といった事業に取り組んでいた頃、地域循環型生態系などのコンセプトも理解してはいたけど、そうは言っても国内外問わずクロスボーダーで経済を取り込まないと原則的には難しいのではと思っていた。要は金のあるところから集めよという原理・原則なのだ。

常に世界に視野を広げ、先見の明を発揮する。今の情報化社会ではなおさらファーストペンギンにならなくてはいけないけど、やたらと実績主義を標榜する企業群がはびこっている現代日本でもそろそろ変革は必定なのではないかという時代に突入している。

白州がそれらを磨いたのは、日本の宰相の側近だったから、大きな物語を追求できたのは当然という立場論的なもので終わらせてはいけない。だって考えるという行為は個人でもできるからだ。当時の吉田茂首相も白州を大いに気に入ったらしい。物怖じしない発言の数々に。白州の奥さんは「戦国時代か明治維新に生まれていれば・・・」とコメントしたとか。でも戦後の激動期にこれだけの活躍をしたのだから、それはそれで時代が生んだ人物なのではないだろうか。ところが世の中が落ち着き始めると、白州のスケールは大きすぎたとも解説が施されている。この当時(2007年)においても白州のようなスケールの大きな人が望まれると締めくくられているけど、それは17年経った今での同じ。政財界共にどちらかと言えば足の引っ張り合いを好んでしているような気がしてならない。


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