自分史的なクリッピング史料

最近では野球中継もめっきり少なくなり、G党の自分には戦績も含めて寂しい時期(数年間)を過ごしている。昔目黒に住んでいた時、近くにG・セカンドの土井選手(後のオリックス監督)の家があり、ある日たまたま王選手と同じクルマで帰ってきたところを目撃し、とても興奮したことを覚えている。あれは実は幻だったのだろうか(幻想?)。小学校の記憶の拙い頃の思い出なので、事実であったのかも正直わからない。でも公園近くの土井選手の家を注視していたG党の子供達がいたことは間違いない。それだけは間違いない、きっと。やっぱり昔も今もその領域は広がったけど、プロスポーツ選手というのは憧れの存在。野球も大好きだったけど、到底プロなどになれるとは思っていなかった。公園で野球などをしている子供たちを見ることも少なくなった。でも、大谷選手の「野球しようぜ」という問いかけに間違いなく(当時は)答えていた少年時代だった。

2024年1月20日 朝日 サザエさんをさがして 巨人ファン

このコラムもよく読んでいる。それは、4コマ漫画が大好きだから。ユーモアとウィットを僅か4コマにまとめる力っていうのはたしいたもんだといつも思うから。ちょっと前までは、川島(麒麟)と山内(かまいたち)の深夜TV番組で4コマ漫画選手権なるものが放映されていて、これも素人から芸人まで、画力もさることながら、オチまで考えた4コマ漫画の作品に感心しながら、よく視聴していた。さて、このコラムでは、右側に昔のサザエさんの4コマ漫画が紹介され、左には世相を感じる記事が掲載されている。時代をさかのぼり、記憶をアップデートするにはとてもよい。

その4コマ漫画では、マスオさんが病院の初診に訪れた際に、受付用紙を渡され、紙に「巨」という欄があり、それは何かと看護師さんに聞くと、「ジャイアンツファンの方は〇印」と言われる。1967年5月29日掲載の漫画らしい。この病院の医師が容易に巨人ファンだということが連想される。

1960年代、「巨人・大鵬・卵焼き」が象徴的な流行語。子どもがみんな好きなものという意味で、強いものへのあこがれが象徴的でもある。1967年は、川上監督率いる巨人が日本シリーズを3連覇。その後も73年まで勝ち続け、「V9」という偉業を達成したことは今の若い世代の人のなかでもクイズ番組等で知り得る知識なのだろうか。大鵬も優勝32回、45連勝と、昭和の大横綱の代名詞。卵焼きは弁当の定番。

巨人ファンの基盤は何と言ってもONの存在。長嶋は「ミスタープロ野球」と称されるほど神格化されている。記憶の長嶋というだけあって、派手なプレースタイルは誰しもが憧れた。何せ天覧試合で、村山からホームランを打つなど、とにかく派手な印象だ。一方王はといえば、世界ホームランキングとして868本をかっ飛ばした。一本足打法、フラミンゴ打法等と呼ばれる独特のスイングを磨きに磨きその頂点に達した大打者だ。

長嶋が引退したのは74年。引退セレモニーでの「我が巨人軍は永久に不滅です」は辞書にのってもおかしくない名言。よく言われることだけど、関東地方では特に、巨人戦の中継があまりに独占的かつ頻繁にあった為に、当時の人たちが必然的に巨人ファンになるのは必定であった。当時はシーズン中、毎日ナイター(和製英語)中継があり、たまに他局でパリーグの試合が中継されていた。当時は阪急ブレーブスや南海ホークスも強くて、パリーグを代表するチームであったけど、何せ中継機会に恵まれていたとは到底いえない状態。

「巨人ファン」、「ジャイアンツファン」という呼称が、企業名を出さずに語られるところに、親しみも増したのではないか、とのコメントも付されているけど、確かに、読売ファンとは今でも語られることはない。「巨人」という言い方の方が当時はなじみ易かったのだろうか。当時の子供も野球の上手い選手は何となくモテた。今では「カープ女子」等ファンは多様化している。我が息子(次男)はホークスのファンだ。これは本拠地の分散化も功を奏しているのだろうか。北海道、東北、福岡と結構各地域に分散・拡散してきたので、「おらがまちの球団」という存在感が増して各地域を盛り上げている。野球でもオリンピック種目になったり、WBCも脚光を浴びるようになった。野球っていいなぁとつくづく思う。

今年はオリンピックイヤー。日本選手の活躍される種目も再度注目を集めるだろうけど、サッカー、バスケット、バレーボール等、既に十分注目を集める競技もあるけど、その他にももっと注目の幅が広がることを期待すると同時に、結果によっては、その後の課題も出てくるのだろう。それらを含めて期待したい。

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