自分史的なクリッピング史料

昨日からの風雨は日本列島を直撃している。台風1号の上陸は免れそうなものの風雨の影響はやはり大きい。相当な風と轟音。ここのところ週末には天気のいい日が続き、そういう意味ではありがたいと思いつつ、会社員で通勤を避けられない人たちにはたまったものではない。止まない雨はないとは思いつつ、局地的に短時間での猛威はなかなか鬱陶しいものだ。先般、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という人気の新書を読了したけど、主題とは外れるものの、仕事に対する態度を時代と共にその当時の世相を追いながら解説もしている。その中で、本当に好きなことを仕事にできるというのは幻想なのだろうか、それとも追及可能な夢なのだろうか、という課題。好きな仕事につくことができれば、どんな困難でも納得しながら、長年に渡って取り組めるだろうに・・・と思いつつ、自分は安直に就職戦線に相乗りして、そんな思いを抱きながらも、ついつい現実的ではないだろうと冷めた社会人生活を過ごしてきてしまった。

2017年1月18日 朝日 or 日経(不明)つ・む・ぐ 伝統的な手法を再現
パイプオルガン製作者 横田 宗隆氏

この記事の冒頭で、横田さんは(掲載記事当時で)約40年に渡って海外で活躍したパイプオルガン製作者であることが紹介される。2015年夏にスウェーデンから帰国し新たな拠点として相模原市(旧藤野町)を選んだと。ここは自然に囲まれ、芸術家が集まっているらしい。「その土地にある材料を使いその土地に住む人たちと共にパイプオルガンを作り上げる」という横田さんの理想の手法がコメントとして付されている。

ちょっと横田宗隆オルガン製作研究所というホームページを眺めると、CDなんかもOnlineで販売されていたりして、製作された楽器での音を送り届けようとしている姿勢にも共感できる。ここでは様々な芸術家が集まる「藤野芸術の家」というのがあり、横田さんの工房はその近くに建てられている様子。横田さんはこの工房で、設計、部品製作、組み立て、音の調整など手作業でこなしていると。まさにザ・職人という生業なのだろうか。

横田さんがパイプオルガンと出合ったのは、中学生の時に買ったレコードだと。自分もピアノを幼少時に13年くらい習っていたので、カラヤン指揮のベートーベン交響曲第6番「田園」のレコードを唯一買ってもらった記憶がある。でも当時の感覚で言えば、ミーハー的でカラヤンとベートベンに惹かれただけだったと思う。今でも勿論クラシックも聴くけど、どちらかと言えばジャンルフリーという感じ。横田さんはバッハの「クラヴィーア練習曲集」を聴いてその音色に魅せられたと記してある。大学卒業後に「子どもの頃から好きなことを職業に」という夢が断たれることはなく、日本を代表するパイプオルガン製作者の辻宏さんに師事したと書いてある。そこが凄い。ご出身の家庭は典型的なサラリーマン家庭(銀行一家だった様子)。

横田さんは1978年渡米以来、海外生活は37年にも及び、歴史ある楽器の魅力に引かれ、中世に作られたパイプオルガンの修復やら製作を手掛けてきたとある。その活動で注目を集めたのが「オンサイト・コンストラクション」という伝統的な製作手法の再現だという。現地に住み、地元の大工や芸術家といった専門家だけでなく、主婦などの一般市民の力も借りて皆で作り上げるという。なかなか上手に想像できない。少々哲学的なコメントとして、「自然や文化、生きてきた人たちの結晶がパイプオルガンに宿り、その地域独特の楽器が出来上がる」とコメントされている。

家内の実家の青森に帰ると、時折津軽三味線が聴きたくなり、生演奏を聴いたり、歴史館などでその蘊蓄を蓄えてきたりするけど、津軽三味線のあの風雪をも切り裂き、叩き切るような演奏も必然的に生まれてきたという話を聞いた。地域ならではの楽器というのも日本にも沢山あるのだろう。

横田さんは94年にスウェーデンの大学に客員教授として招かれ、還暦を境に日本で自分の経験や先人の叡智を次代の人たちに繋いでいきたいと考えた為に帰国を決意したとある。お弟子さんの加藤さんは東大卒でもあり、当初はその厳しさを伝え、修行の短縮化などできない旨も十分伝えたけど引き下がらなかったので弟子として迎え入れたと。まさにザ・職人の世界。

首都圏で活動拠点を探している中、知人の紹介もあって、旧藤野町を知り、すっかり気に入ってここに腰を据えた。地元住民らを招いてオルガンのミニコンサートを開いたりして地元との交流を深め、装飾などは地元の芸術家の助けを借りながら、パイプオルガンを仕上げたという。まさに、「オンサイト・コンストラクション」。こうした取り組みは何も楽器だけでなく、古民家再生など、地域・地元の協力ならではのコンストラクショニズムの可能性が沢山ありそう。レゴ的発想だ。壊しては作り変える。古びたものは修繕するという息の長い活動というのはとても資源を大切にした態度で意義深いのではないだろうか。


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