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自分史的なクリッピング史料
我が愛犬は今日も元気いっぱい。毎日散歩しているにもかかわらず、自分の名前を呼ばれてもめったに振り向くことはない。前の犬とは大違い。我が道を行くワンコなのだ。一昨日も1ヶ月ぶりのシャンプーで綺麗にしてもらったにもかかわらず、朝の散歩では早速、足元は汚すし、辺り構わず臭いを嗅ぎに行くので、全身葉っぱだらけに。でもすっかり朝夕の散歩が日課となり、こちらは勝手な減量にもなっていて、悪いことばかりではない。
最近は、誤飲・誤食を防御するために、ビニール袋とトングを持参して、タバコの吸い殻や、弁当やパンの包装ビニールのポイ捨てを拾いまくっている。大谷選手もゴミを拾って夢をつかむ道を歩んだように・・・というのは少々大げさだけど、結構ポイ捨てしている人が多いことに今さらながら気づかされる。今住んでいるところは、比較的に緑にめぐまれ、以前都内に住んでいた時よりは断然ヒーリング効果は大きい。こうした小さなボランティア的動きが自然になされていけば、結構きれいな街が出来上がるのではないか等と夢想する。
乱読中の本の一冊に宮本常一の「忘れられた日本人」がある。名著の誉も高い本をようやく読んでいる状態なれど、なかなか、昔の臭いを感じさせてくれる本だと思う。日々の生活、日常を伝えること、そこから学ぶこと、なんか大事な気がするなぁ。
2013年12月8日 日経 文化 柳田国男と関敬吾 小澤俊夫
筆者はかのオザケンのお父様で、日本のドイツ文学者、昔話研究者だ(筑波大学名誉教授。有限会社小澤昔ばなし研究所・社長)。まだ94歳の今もご健在の様子(あくまでWebで調べたところ)。
この記事の冒頭で、小澤さんは、2013年10月に宮崎県の稲葉村を訪ねたという記述で始まっている。1908年、柳田国男が訪問して、古来の狩猟方法と焼き畑を見て、日本民俗学研究の志を立てた村だそう。柳田国男の本も並行して読んでいるけど、結構遅々として進まず、相当な遅読になっている。柳田は日露戦争の勝利の歓喜の中で、日本文化の根底にあるものを探る研究が重要だと説いていたらしい。
柳田は1930年、「桃太郎の誕生」を発表して、日本昔話研究を本格化した。古代日本人にとって山は神のいるところ。川上から流れてくる桃は神の国。から流れくるもの。その桃から生まれた桃太郎は神の子だった、という英雄伝説的なものに。桃太郎といえば、中学生の頃は高橋秀樹演じる桃太郎侍の再放送をよく観ていた。ちょっと脱線したけど。
1935年頃、柳田は昔話の収集活動に熱心で、小澤さんの師でもある関敬吾と「昔話最終手帖」なるものを作成し、ひろく配布して昔話の収集と記録を呼び掛けもしたとある。各地に散らばっている昔話がいくらでもあるのだろうし、それを収集する意義もありそうだ。そうして「全国昔話記録」全13巻として三省堂から出版した。でもそのころ戦況は悪化の一途をたどり、若い研究者に疎開先で昔話の収集をさせたという。
柳田は、1948年に「日本昔話名彙」を発表。昔話を「完形昔話」と、「派生昔話」に分類。今日的には余り支持されていないようだとも。一方、小澤さんの関敬吾の「日本昔話集成」全6巻を著し、日本の昔話を「動物昔話」、「本格昔話」、「笑話」に三分類したと。更に関敬吾は、「日本昔話の型」というカタログを作成した。でもそれは第6巻の末尾に申し訳程度の付録のようにして発表されたため、ほとんど人の目をひくことがなかった。
小澤さんは、晩年の師にこれからの研究者が使うパターンはと問うたところ即座に「型」だと言われたそう。小澤さん以外にこのことを知る人もいないのではないかと思い、小澤さんの研究所(小澤昔ばなし研究所)で「日本昔話の型」という書籍を刊行したそうだ。師である関敬吾は、「日本の昔話比較研究序説」等も著して、日本の昔話の伝播論についても大きな貢献をなしたと記されている。関敬吾は柳田から「日本昔話集成」を共著にしようと申し入れされたけど、それを断ったと。結果的に、小澤さんは、共著ではなく2つの分類方法が存在すつことになったことで、より一層日本昔話の姿が鮮明になるという効果があったと評されている。また、関敬吾は、晩年、昔話が勝手に改ざんされているのではないかという懸念を表明し、文化財としての昔話のありかたを鋭く説いたと続く。
小澤さんは、柳田国男に初めて会った時、グリム童話を研究していると告げると、柳田から日本の昔話もやってくれと言われたということを鮮明に覚えている様子。その後、ご自身は、日本の昔話を、伝承された形を崩すことなく、次の世代につないでいくことが自分の使命と感じ、大学で教えてきたことを回顧する。そして柳田の言葉は、後世の研究者にも日本の昔話の研究を正確に意義を見出しながら紡いで欲しいという願いがあった筈だという結論に達する。要は柳田にしても関にしても、日本の昔話を基本的な伝承文化財として破壊せずに伝え続けることに腐心していたのだと。日本の酒造りも世界遺産に認定された。その伝統という文化を伝えることに意味を見出すことってやはり大事だなぁと思う。小澤さんはこうした態度を醸成することこそ現代において大事なんだと結んでおられる。
世知辛い世の中でついついマネタイズばかりに腐心することが多い世の中ではあるけれど、こうしたマインドを忘れずにいたいし、特に現役世代である自分たちの子供たちの代においても何とかこうした意味を理解して欲しいなぁとこの記事を読んで思う。