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自分史的なクリッピング史料(番外編)「父の闘病記」

今日はクリスマス・イブ。物価高の影響もあって、何もかもが高くなっている。流石に子ども達もすでに独立しているので、ケーキを買ったりすることもないし、ロースト・チキンを買って食べるということもない。ケンタッキーの方が好きだ。でもケンタも結構高いので、そんなに頻繁には食べない。

「父の闘病記」にはクリスマス・イブもクリスマスも経験している筈。退院したのが12月28日だから。続きのタイトルは「2.排尿から放尿へ」というもの。いったいどんな記録を残しているのだろうか。

「手術したあとでとにかく苦痛なのは排尿の問題である。術後はCRCU室にドレインのパイプや排尿のための尿道パイプ、痛み止め液注入の管やらとにかく寝たままで過ごさざるを得ない。普段から殆ど考えても見なかった排尿の問題がこんなに苦痛とは思っても見なかった。出ているようですっきりした排尿、放尿感がないのである。とにかく尿道に挿入されたパイプが違和感があって何とも気になる。身体を脚を片方立てて、そり身になりながら勢いつけて放尿するも少しも出ている感じがない。あのいつものトイレでする勢いのよい音もきこえない。夢の中で小便をしている感じで出そうで出ないのである。
ナースの皆さんは尿が出てますよと言ってくれるものの、満足感が全くない。長いパイプをふらせてくれると、尿がパイプを流れていくのが少しはわかる。これが本当のフルチン(フレチンか?)かも知れぬ。
おどるポンポコリン→おどるチンポコリンは早く何とかして頂きたいものである。ハイテクの時代に、いつかは解決されるとは思うが是非おねがいしたい。」

術後の様子で思うことをそのまま記している。どちらかといえば堅物の父であったけど、 " おどるポンポコリン " などにも注意がいっているところをみると、「ちびまる子ちゃん」も観ていたのか?と疑いたくなるようだけど、流石にヒットした歌で覚えたのだろうと思う。(昭和の)歌謡曲をよく聴いていたという記憶はないので。でも、お笑いは大好きだった。日テレの看板番組「笑点」をよく観て笑っていた。特に歌丸と小圓遊の掛け合いに笑い、円楽の回答にも笑いという感じだった。やすきよも好きだったなぁ。笑点の司会は、その当時三波伸介だったという記憶がある。いずれにせよ、昭和の人だから、「大相撲」や「笑点」といった国民的番組を好んで観ていたということだろうか。

術後は当然、一時的に回復するのか、何とも元気そうだった。その後亡くなるまでの2年弱、ハイキングにいったり、山梨にワインを飲みに行ったりと気の合う相手をみつけて結構出かけていた。仕事一筋から自らを解放して、母の看病疲れを癒やすように、公共交通機関を使って。当時免許も持っていなかったので、自分たちの使用の為に車を買ってくれたようなものだ。初めて買ってくれた車はスバル・レオーネを親戚から中古で譲り受け、その後兄の要望で、ギャラン・シグマの赤色を買った。自分も独身時代に生活拠点を寮からアパートに変えた時に、ホンダ・シビック(当時ワンダーシビックと宣伝されていた)を買ってくれた。流石に保険料だけは自分で払ったけど今思えば贅沢をさせてもらった。

この1回目の手術の時に医師からは転移している可能性が高いと言われていたので、退院後、我が家のルーツをたどりたいという父の希望をかなえようと石川県まで旅行した。唯一の親孝行だろうか。本当に孝行したいときに親はなしという思いだろうか。

ベッドに横たわりながら、普段の日常で当たり前のことが当たり前にできないフラストレーションを単に記しているだけだけど、技術者らしいところはテクノロジーの進展を信じて改善されるだろうという希望をもっているところだろうか。何でも自分で課題をみつけていく癖がついているのだろうか。
" らしい " と言えば "らしい " 記録だと思う。

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