2001年の思い出
上京して2年目。
バイトを幾つかして、東京にも慣れてきた。
新宿の夜の街でちょっと働いたり。
そんな中、相変わらずTHE BACK HORNを追いかけてた。
2001年4月「サニー」8月には「空、星、海の夜」を発売。
そして10月には「人間プログラム」リリース。
当時サポートベーシストとして岡峰さんがツアーに帯同。
様々なイベントやフェス出演を追いかけるだけ追いかけた。
この頃から公式HP内のBBSであるHNを使用してた。
この頃のBBSでの出会いはやがて、当時全盛だったmixiでのコミュでの出会いにも繋がり、やがてはライブ会場での出会いに繋がっていく。
2001年は濃すぎる年だった。
特に「人間プログラム」発売後に行われた「人間プログラムツアー~未確認飛行物体~」は別格だった。
初日は水戸LIGHT HOUSE。
対バンはcockroachとREDЯUMという伝説的な夜。
cockroachは4月に「虫の夢死と無死の虫」リリース。
REDЯUMは2000年に「second circle」をリリース。
そして12月にはcockroach、TITTY TWISTERとイベント「化物(バケモノ)」を新宿LOFTにて開催。
個人的にはこの12月にLOFTやクアトロ、屋根裏でACIDMAN、ハックル、氣志團、ビークル、モーサム、ドーパン、Hawaiian6などなどに出会う。
新宿でバイトしてた事もあり、とにかく呑んではLIVE観るの繰り返しだった。
THE BACK HORNは地方ではお客が入らないが東名阪ではそこそこ入るし東京でのワンマンはチケットが取れない人もいるレベルだった。
演奏は相変わらず荒い。
時にはメンバー間の雰囲気も悪い時があった。
真剣さがフロアにまで伝わるのだから、当時の緊張感は只ならぬものがあった。
終演後に怒鳴ってる声がすることもあって、他バンドを出待ちしてたファンがビビって帰るとかもあった。
少し2000年~2001年を振り返ると、やはり「鬱バンド」の評価が強かった。
バンドもファンも暗いイメージ。
あと、「怖いバンド」のイメージもついてまわってた。
もちろんファンも怖いと思われてたり。
MC無いし、ステージの挨拶もしたりしなかったり。
ギラギラ、ひたすらギラギラしてた。
演奏がずれると睨み合ったり、強面バンドとしての一面も。
この時期、対バンが多かったcockroachとかの演奏力がとにかく高かった。
メジャーデビューして離れたファンも少なからずいたし(当時はインディーズかっこいいみたいな風潮もあった)「空、星、海の夜」が売れ線だと離れた人もいた。(売れ線とは?みたいな思いもある)
POP JAM(NHK)では短いVerでの披露だったが客席前方に事務所かレーベルが呼んだ所謂、「桜」的なお姉さんがちょっと雰囲気に合わない振りで踊ってたりして「?」な事もあった。
この頃、ライブ会場で何度も顔を合わせるようになった人たちと少し話すようになる。
その中には忘れられない友人が何人かいる。
その話はまた書けたら書きたい。
しいたけお
2020.07.17
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