音姫ってどこにおくのが正解なのだろうか
日本人ならば、人生で一度はお手洗いで音姫を見たことがあるのではないだろうか。ここで私が問いかけたいのは「音姫で排泄音がまぎれるだろうか」ということである。下世話な話ではあるが、一度考えてみてほしい。私は音姫の音量では限界があると思う。
仮に水面まで10cmほどの高さから水滴を一粒落としたとしてもポチャンと音がすることは想像に難くないだろう。でも音姫はずっとあの音量である。企業がまさか、検証なしに発売に踏み切るとも思えなければ、こんなにも普及するとも思えない。別の理由があるのだ。私は考えた。
「スピーカーの部分が座面に座った時に耳の高さにあればいいのではないだろうか?」と。ここで問題は解決した。
多くのお手洗いで正しい設置方法がされていないということで私は納得した。しかし、また一つ疑問が生まれる。
なぜ開発者は音量を上げるという選択ではなく、設置位置を変えるという選択をとったのだろうか。音量を上げることにリスクはあるのだろうか。
あまりにも大きな音は会話を妨げるからというのが一つ目のアイデアだ。否、トイレでの必須の会話などない。
聴覚過敏の方が辛いからだろうか。聴覚過敏に優しさが常に供給されるほど日本の社会はみんなに優しくない。民主主義は大多数に優しいのだ。少数派には優しくない。それが民主主義。
もしも人がトイレの個室内で倒れた時、爆音で音姫がなっていたらどうだろうか。気づけないかもしれない。そういうことなのかもしれない。
ここでそもそもの音姫誕生秘話に立ち返るならば、人はそこまで大きな音で排泄音をかき消すことは求めていないのかもしれない。音姫は無駄な水洗による排泄音のかき消しを減らすために生まれたのである。水洗時の流水音などしれている。その程度でいいということではないだろうか。
もしも本当に音姫を耳の高さに設置することが正しいのであれば、音姫は自分の排泄音をかき消すためではなく、他人の排泄音を聞かないための機械なのではないだろうか。
であれば、壁の両サイドに音姫が必要ではないだろうか?
座面に腰を下ろし両手を両サイドの壁にかざす自分を想像してみてほしい。
実に滑稽である。
だから片方にしかないのかもしれない。
そんなことしかもうかんがえられない。
どちらにせよ、音姫は日本人の開発した「思いやり」の発明である。