特別な日に、なにもなかった人へ
「来年は、母の日に祝われる人になっているんだね」
妊婦のとき、夫はそう言った。
私は母になるのが楽しみになり、笑顔になった。
そして、私は元気な息子を出産し、母になった。
しかし、母になった私が迎えた初めての母の日は、至って普通の日であった。
いつもの土曜日のようだった。
朝起きて、息子の食事を作り、遊び、お昼ご飯を食べ、お昼寝し、遊び、お夕飯を食べ、就寝。
いつものルーティンを行う、これぞ母の日であった。
そもそもなにも期待してはいなかったが、本当になにもなかった。
しかし私が「母の日になにもなかった」と言っている時点で、すでに何かあると期待している。
そんな中、思ったのだ。
特別な日として期待してしまうから、何かすべき、何かしてあげるべきという気持ちになり、「いつもと同じ」にムッとするのだと。
特別な日は、自分たちの都合の良いときに作ればいい。
メキシコだって、土日祝日のレストランの混みようといったらこの上ない。
父の日も、朝8時から大行列で、いつもはガラガラのテラス席を3倍ほどに拡大して対応。
そんなに混むときにわざわざ行くより、
すっと入れるときに、ゆったりと静かな空間で楽しめたほうが、有意義な時間になるはずだ。
周りに設定された特別な日より、自分のハートがもっと動く日を過ごせるほうがいい。
だから、私の特別な日は、私の一番嬉しい日につくるのだ。
人に決められない、
特別な自分の一日に。