【エッセイ】元日に≪花束≫をさがして沖縄の街を走り回った
「手ぶらでなんて絶対行けない。失敗した!」
母の落胆は大きく、元々体調が良くなかった身体がより一層重くなったようだ。
* * *
年末年始、母と姉とわたしの3人は、沖縄のパックツアーに参加していた。
連日、他のお客さんと一緒に貸し切りバスで周り、美味しい沖縄料理屋さん、楽しい沖縄舞踊のステージ、美しい沖縄の海や史跡を巡って、観光名所を楽しく贅沢に堪能した。
元日の日程が終わり、市街にあるホテルの部屋に着いて、旅行代理店に渡されたパンフレットを見た。明日1月2日は、糸満市にある平和祈念公園や慰霊塔に行く予定だ。
「平和祈念公園や慰霊塔には絶対花束を持って行くと、ツアーに申し込んだときから決めていたの」
と母が言った。とは言っても、沖縄県から遠く離れた土地からパックツアーに参加していたし、地元の空港から那覇空港に向けて出発したのが年末だったから、当然、花束は持参していなかった。
母は当初、沖縄の市街にあるホテル近辺で簡単にお花屋さんが見つかると思っていたらしい。
そこで、ホテルのフロントのスタッフにお花屋さんの場所を聞いた。
ところが、スタッフの表情は途端に曇った。
「お花屋さんはあるにはあるのですが、恐らく元日は閉まっているでしょう」
その言葉を聞いて、地元にいるときからずっと体調が悪いまま、他のお客さんに合わせてどうにかこうにかツアーに参加していた母の疲労がピークに達してしまった。
「お母さん、わたしがさがして来るよ」
母は
「ごめんね」
と力なく言うと、わたしの手に5千円札を握らせて、ベッドに横たわってしまった。
(お母さんのためにも、自分のためにも、亡くなった祖父のためにも、親戚のためにも、絶対、花束を買って帰って来なくちゃ)
強い決心を胸に秘めて、一人ホテルを後にした。
地元の方とおぼしき人たちにお花屋さんの場所を聞いた。自分とどこか顔が似た沖縄県の人たちは皆親切に対応してくれたが、ホテルのスタッフ同様に
「元日は閉まっているのでは」
という返事だった。それでも、諦め切れずにお花屋さん数ヶ所に行ってみたが、どこもシャッターが下りていた。
とうとう夕方になり、暗くなり始めてしまった。いくら市街地のお正月とは言え、よく知らない土地で夜に女一人でいるのは怖くなってきた。
(花、花、花が欲しいんだ!)
たまたま目に入った軒先に咲いている花さえも、欲しくて欲しくて堪らなくなってしまった。
(突然ピンポンを押して自宅に訪問して事情を説明したら、花を売ってくれるだろうか)
もう切羽詰まっていた。そのとき、ある考えが頭の中によぎったのだ。
(そうだ! 花はお花屋さん以外にもあるはず! お花屋さん以外にも花が売られている場所は他に?)
しかし、デパートやスーパーもすべてシャッターが閉まっていた。
(昨日12月31日なら、せめて今日の午前中くらいなら、開いていたかもしれないのに)
泣きたいのを堪えながら、泊まっていたホテルの前に戻ってきた。辺りはすっかり暗くなっていた。
(ごめん、お母さん。ごめん、お祖父ちゃん。ごめんなさい、親戚)
すると、道路を挟んでコンビニがあるのに気づいた。
(こんなところにお店があったんだ)
駄目で元々で、コンビニの自動ドアの前に立った。
ティロリロリン~♪
ドアが開くと、レジのすぐ横の青いポリバケツの中に、半額のシールが貼られた2つの商品が目に飛び込んできた!
(これ、花束って呼んでもいいんじゃない?)
売れ残っていた商品2つを買うと、ホテルに急いで戻った。
* * *
「心配していたのよ!」
部屋のドアをノックすると、母が急いでドアを開けた。わたしは部屋に入りながら
「お花屋さんもデパートもスーパーも全部閉まっていたの。でも、ホテルの真ん前にあるコンビニに入ったら、これが売られていたの。これじゃダメかな?」
半額シールが貼られている2つの商品を母に見せた。
「一生懸命さがして見つけてくれたんだね。ありがとう」
母はその商品をマジマジと見つめた。
「たぶん、お正月の飾りが売れ残っていたんだろうね。明日は慰霊だから、枝についている紙は派手だから取ろうか」
その商品は、束にした細い小枝に花が咲いていた。さらに、その細い小枝には、正月という目出度い日に合わせたのだろう。金や銀の紙がとても丁寧に巻かれていた。
その金や銀の紙を小一時間かけて、母とわたしで全部取り除いた。
「これでなんとか、明日の平和祈念公園や慰霊塔に行ける。ほんとうにありがとう」
翌朝、母とわたしで一つずつ≪花束≫を抱えると、バスに乗り込んだ。
地元の沖縄県民のバスガイドさんは、それを見て驚いた表情をした。
平和祈念公園に行った。つぎに、46都道府県ごとにある慰霊塔のうち、わたしたちツアー客の地元の慰霊塔の前にバスガイドさんが案内してくれた。
「あれ、なんだ。花が売られている」
慰霊塔のすぐ近くには、一輪の花が手頃な値段で売られていた。
≪花束≫を持てなくて、朝から不貞腐れていた姉がその花を一輪買うと、同じバスツアーに参加していたお客さんたちも、一家族1~2輪ずつ花を購入した。
花屋の売り子さんとバスガイドさんは、一人一人に
「ありがとうございます」
と言って、丁寧に頭を下げていた。
慰霊塔の前には、花がこんもりと手向けられた。
* * *
「慰霊塔のすぐそばで花が売られていると知っていれば、昨日、あんなにさがし回らなくて良かったよね。ごめんね」
と、後で母が言った。
「ううん。やっぱり、買って行って良かったんだよ。沖縄のバスガイドさんも花の売り子さんも嬉しそうだったし、きっと≪花束≫を抱えているわたしたちの姿を見て、他のお客さんも花をたくさん買ってくれたんだと思う」
とわたしが言うと、
「うん、そうだね。これで、沖縄の地上戦で亡くなったらしい親戚も喜んでくれたかもしれないし、沖縄から鹿児島に疎開したまま、二度と沖縄の地を踏めなかった父の代わりに花を手向ける役目を果たせた」
と、母も同調した。
※ 約20年以上前に参加したパックツアーの出来事ですので、記憶があやふやな部分があります。実際と一部異なるかもしれません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。スキ(ハートマーク)をクリックしてくださると嬉しいです。
いいなと思ったら応援しよう!
