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母の高校の同期生が新型コロナウイルスで亡くなった話。

実体験に基づいたフィクションです。

『でも、幸せな最期だったと思うよ。』

母の高校の同期生の一人が新型コロナウイルスで亡くなった。

私は母を案じて実家に電話をかけた。

「なーに?どうしたの?」

久しぶりに聞いた母の声は予想に反して明るかった。

私の近況報告に始まり、他愛ない話を30分ほどして電話を切った。

同期生の話は一切出なかった。

同期生が亡くなったことを知らないのだろうか。最近、母にはテレビを見る習慣も、ましてやSNSをやる習慣もなかった。

それとも、知った上でどうでも良かったのだろうか。あの高校を卒業してから50年以上経っているわけだし。50年、半世紀か。長いな。

その後、母を心配して3日に1回くらいの割合で電話をかけたが、やはり、他愛ない話に終始した。

4回目の電話で、私は意を決して母に告げた。
「実は、お母さんの高校の同期生が新型コロナウイルスで亡くなったんだ。」

母は、静かな声で、
「うん、知ってる。」
と答えた。

私は、
「何も言わないから、そのこと知らないのかなって思っていた。」
と言うと、

母は、
「もちろん、知ってたよ。知ってたけど、ショックすぎて1週間くらい塞ぎこんでたの。その後、高校のときの友人の何人かとも久しぶりに連絡取り合って。」

その後母は堰を切ったように話し続けた。
「彼は高校のときからバカやってたねって。寒い冬の日、上半身裸で登校したり、体育祭のときは一人だけステテコ履いて参加したり、そのまま綱引きに参加したり、いつも皆を笑わそうとしたりしてたねって。いつも目立っていた。ほんとうにバカばっかり。」

50年以上前、各家庭にようやくテレビが普及し始めたばかりで、家庭用の動画の撮影機材ができる遥か昔の話である。静止画用のカメラも一般にはまだまだ普及していなかったため、母が持ってる高校の卒業アルバムには学生服を着る彼が凛々しく写っているものしかない。

そんな彼のことを母は長らく認めていたなかった。テレビに彼が映ると、
「ねえ、いつまでバカやってるの?もういい加減、落ち着きなよ。お母さんを安心させて結婚しなよ。」
と話しかけていた。

母の彼に対する評価が一変したのは、岡村隆史の存在である。ダンスや演劇好きの母は、短期間で劇団四季やEXILEのダンスをマスターした岡村隆史をえらく気に入り、その岡村隆史が尊敬している人が彼だと知ると、

「康徳くん、凄いよ。あの岡村隆史に認められたよ。」
と心底驚いていた。

私は母を慰めるために言った。
「でも、幸せな最期だったと思うよ。」
と、母も、
「私もそう思う。」
と続けた。

「残されたお兄さんには悪いけど、売り上げが落ちた馴染みのお店に行って、好きな人たちに囲まれて、好きなお酒を呑んで、後輩芸人に慕われて、『才能あるのに早すぎる』『もったいない』って言われて、『まだまだこれからだよ』って惜しまれて。みんなに愛されて。康徳くん、凄いよ。」

50年以上経っても、母の中で彼は一流有名芸能人ではなく。一人の同期生だった。

「康徳くんは、昔から空気が読めるし、気遣いの人だったから、人工呼吸器をつけられたとき思ったんじゃないかな。『自分は子どももお嫁さんもいないから、もういいよ。幸せだったよ。』って、ベッドも人工呼吸器も次の人に譲ったんじゃないのかな。」

有名な監督の映画に主演する直前に亡くなったり、病床や火葬場にさえ親族が立ち会えなかったり、『可哀相』『かなしい最期』という人もいるだろうけど、彼はそれだけじゃなかったんだと思います。

(注)彼が生前、ほんとうに高級キャバクラや高級クラブに行ってたのかも、どこで新型コロナウイルスにかかったのかも、不明です。

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椎良麻喜|物書き(グルテンフリー/小説/エッセイ/写真)
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