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①月50時間の残業がある派遣社員が映画館で年300本映画を観た話。

実体験に基づくフィクションです。
(注)下記の映画に関するネタバレ含みます。

マイケル・チミノ監督、映画会社を潰した問題作『天国の門』ディジタルリマスター版216分、アカデミー受賞作『ディア・ハンター』183分、一夜限定一気観オールナイト上映。天国の門オリジナルエコバッグが貰えるよ♪

好きな映画館の予告ポスターに、気になるワードが散りばめられていた。

問題作、216分、アカデミー賞、183分、一夜限定、オールナイト、エコバッグ。

映画会社が潰れるほどの問題作って、観たいような観たくないような、観てはいけないもんが映ってしまっているんだろうか。

216分+183分=399分、えーっと、1時間が60分だから、399分って……6時間39分!休憩時間ってどんなもんなんだろう❓

なんか、このポスターの感じだと、問題作がメインでアカデミー賞受賞作が添え物的な感じがする。

一夜限定。こういう言葉に弱いんだよな。

土曜の夜から日曜の朝にかけてのオールナイトだから、月曜からの仕事に支障は出ないか。ええ、ワタクシ社畜です。

ポスター全体に漂うおどろおどろしさに対比するようなエコバッグの存在も気になった。

内容をネットで検索したが、さして私の興味を引くものではなかった。『天国の門』に関しては特に。

映画に詳しい友人に聞いたところ、
「ああ、その映画、観終わった超絶鬱が襲ってくるよ。正直薦めない。どうしても観るなら、帰りの電車、気をつけた方がいいよ。」

電車に飛び込みたくなる映画。問題作の表示に偽りなしか。

しかし、しかし、気になるエコバッグ!一夜限定の配布なんでしょ。

私は気づくと、2作品とはいえ他の映画よりも2倍近くする前売り券を買っていた。でも、エコバッグが貰えない。スタッフに尋ねると、
「鑑賞後に出口でお渡しいたします。」

映画のチケット代だけ払って、ノベルティだけ受け取るなんてことはできないのね。

私は覚悟を決めた。

当日の夜9時過ぎ、映画館の最寄り駅に着いた私はコンビニで買い物をした。

眠気覚ましのブラックコーヒー、取りあえずのお茶、持久戦に備えてスポーツドリンク、音の鳴らない食べ物として、グミ3袋、マシュマロ1袋。

座席は自由席で、座席数に対して1~2割の入りだった。

当たり前だが、座席選びは重要だ。

映画が観やすいこと。
長時間観ていても疲れない首の角度で観られること。
座高が高い人が目の前にいないこと。
髪を立てている人が前にいないこと。
帽子を被っている人が前にいないこと。
うるさい人が近くにいないこと。
映画がそっちのけになるくらいの印象的すぎる人が近くに座っていないこと。

私は、劇団員らしきジャージ姿の小太りの男と、黒木華似の舞台女優さんらしき若い女性から、それぞれ5mくらい離れた位置に腰を掛けた。

左右のホルダーにペットボトルとお菓子をセットし、上映中に音が鳴らないようにそれぞれ開けておいて、トイレに向かおうとした。

「長いよな❓この映画長過ぎるよな❓」

ノーネクタイでスーツを着た男が近くの観客に次々に声をかけていた。

自腹で映画を観て、忖度なしの辛口コメントをすることで有名な映画監督だった。

「またおまえかー⁉」

彼は私にそう声をかけたようだが、私は聞こえなかったふりをして、トイレに行った。

便座に腰を下ろすと私は、溜め息をついた。

(また無駄な運を使ってしまった)

その監督と会うのは、少なくとも5回目だ。

何度か声をかけられたが、いつも聞こえなかったふりをして素通りする。

いやだってさ、有名な映画監督かもしれないけれど、普通に考えて50代の強面おっさんに突然、
「おまえ!」
って声をかけられたら、こわいでしょ⁉聞こえなかったふりの方が自然な反応でしょ⁉違うのかな……?

ここで、私は、声優学校に通う生徒やインディーズレーベルの歌手から、
「コネが欲しい」「繋がりが欲しい」「スポンサーが欲しい」「出会い方がわからない。どうすればいいのか❓」
って質問されたことを思い出した。

答えは簡単である。一人で行動することである。

彼女たちは、舞台、ライブ、映画、美術館に行くときに常に仲間たちとワイワイ出かけていた。少ないときでも3人くらい、多いときは10人以上で。

うん。友達多いとか、仲良しグループで常に行動とか、それはそれで素晴らしいと思う。

うん。それが、一般人なら、ね。

ちょっとでも、逆に考えたらわかりそうなもんだけどな。

3~10人くらいの女性集団に、映画監督、映画評論家、音楽関係者、美術関係者のそれなりの地位があるおじ様とは言え、声をかけるのはキツいんじゃなかろうか。

いや、それが広瀬すずレベルならもちろん話は別だが。

「なぜこの映画を観に来たんですか❓」

映画館でこう質問してくるのは、必ずと言っていいくらい映画監督、評論家、プロデューサーだ。実際、私にそう話しかけた男性が、鑑賞後で舞台挨拶をしているのを何度か見かけた。

天気の良い日曜日、東京には数えきれない娯楽がひしめきあっているのにも関わらず、なぜこの人は、自宅から映画館へ出かけ、安くても1000円、高いときは1800円するチケットを買い、2時間前後観ているのか、自ら市場調査をしているわけだ。

役者や映画関係の仕事を目指す卵にとっては、逆に自分を知ってもらえるチャンスだと思う。

ブー

開演を知らせるブザーがなったので、私は慌ててトイレを出た。

『天国の門』は陰鬱な情景が続いていたが、私は眠気に襲われることも、お腹の音も鳴ることも、尿意や便意をもよおすこともなく終わった。ただ激しく鬱に襲われた。

休憩時間は10分のみであった。

4時間近い大作を見終わった徒労感と午前2時台のせいで、観客はみなグッタリしていた。

「マッサージのサービスを行っております。スタッフにお気軽に声をかけてください。」
という若い劇場スタッフの声だけが響いていた。

自分の中で『天国の門』のエンディングに対する心の整理がついていないうちに『ディア・ハンター』が始まった。

もう私の心は壊れそうだった。

寝逃げしてしまえばいいのに、私は結局、『ディア・ハンター』も全て観た。

いやもう、後半は意地だった。眠気との勝負ではない。もう鬱の波が次から次へと私を襲ってきて、心が何度も折られた。

『ディア・ハンター』のエンドロールが終わり、館内が明るくなると、私は、黒木華似の女性も、小太りの男性も、有名監督も、劇場スタッフも、その他、その夜のその時間のその劇場に集まった全ての人と肩を組んで『We are the world』を歌いたくなった。もし、それが実現していたら、私は涙も鼻水もダラダラ流して泣きながら合唱していただろう。

「こちらエコバッグです。お一人様一つずつお受け取りください」

『天国の門』と書かれたエコバッグを受け取ると、私は地下鉄乗り場に向かって行った。

ガラガラガラ。

始発電車の時間に合わせて、シャッターが開いた。

このシャッターが天国の門にならないように。

私は激しい鬱に襲われながらも、階段を下りて行った。

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