5/22日記 「言葉」の面倒さ
5月22日(日)
9時に1度起きたのに、気づけば11時になっていた。起きて準備をしなければと思いつつ、アラームを鳴らしては止めを繰り返す。家を出る20分前になってようやく動き始めたので、メイクと髪のセット時間を大幅にショートカットした。
原宿駅で待ち合わせる。いつぶりだろうか。高校生の頃はよく放課後に遊びに来ていたが、大学に入ってからは数えるほどしか来ていない。大学入学後は「竹下通りに行ってみよう!」みたいな観光ノリで来た記憶ばかりだ。高校生の頃はというと、今どきらしく「女子高校生」「青春時代」のメタ認知的な意識でわざわざ「放課後に原宿で遊ぶJ K」をやっていた。ような気がする。原宿である必要がなくても、原宿で遊ぶこと自体を重視していたような。実際、原宿ならではの遊びをした記憶はほとんどない。「原宿固有の体験」みたいなのは意外とお金がかかる。お金のない高校生にはハードルが高かった。
今回原宿に来たのは「JKだから」でも「観光」でもなく、原宿にあるちいかわランドのため。シフトが合わなくなってしまったバイト先のお姉さんが誘ってくれた。お姉さんはよく会話の中で「夫が〜」と旦那さんの話題を出す。それが、惚気のような鬱陶しい熱を持っているわけでもなく、暖かい雰囲気で、聞いている側もなんだか嬉しくなる。思いっきって旦那さんとのお話を聞いてみたら、大学時代から交際していて、もう10年以上の付き合いらしい。
10年。恋愛かどうかに関わらず、密な人間関係を友好的なまま10年間も維持できることに驚いた。羨ましいのに、自分にはとても無理だろうと思ってしまう。わたしには「親友」と呼べる存在がいない。それなりに仲の良い友人は多く、人間関係に現状不満はないのだが「親友」が欲しいと思ってしまう。中高時代、共通の友人たちからも「双子」と呼ばれるほど親しい友人がいたのだが、彼女とは高校卒業少し前から急に喋らなくなってしまった。そのあとから、なんとなく「自分の未熟な性質や性格の悪さでは、どんな人とでも親しくなると最終的には関係が破綻するのでは」という意識に囚われ続けている。
話が変わるが、人の配偶者をなんと呼べば良いのだろうかわからなくて一瞬躊躇してしまった。お姉さんに対して「旦那さん」で通したのだが、それでいいのだろうかと思ってネットで調べたところ、大丈夫らしい。というか「ご主人」か「旦那さん」しか実質選択肢がないようだった。「ご主人」よりは上下関係がないように思えるけど、それでもなんだか不均衡な呼称にも思える。かといって「パートナーの方」などと呼ぶのもまた違うような。難しい。
人が「嫁」と呼んでいるのを聞くと、すこし違和感を覚える。それは、現代において「嫁」という表現が女性の尊厳の面でふさわしくないと扱われているからだ。わたしが「嫁」という言葉の意味を考え、不快になった経験からその発言に違和感を覚えるようになったわけではない。だから、「良くないとされている言葉を避けなければいけない義務感」のようにすこし面倒に感じてしまうことがある。でも、この面倒くささは受け入れるべきことなのだろう。
平等を目指した結果生じた問題に対し「面倒だ」と思えるのは、私が育った時代・環境に恵まれていたからだ。すこしでも自分の生活圏や時代を離れるだけで、耳を疑うような不平等な世界がある。私が不平等な思いをせずに生きてこれた環境が形作られるまでには、たくさんの人による努力があったはずだ。具体的に知っている限りでいえば、女性に大学はいらないと考えていた祖父を説得して母が大学で学べるようにした祖母。男尊女卑的な考えに触れさせないように育ててくれた母。
彼女たちや、私の知らないたくさんの人々の存在を考えると「面倒だ」と思えること自体がありがたい。面倒くさがらないようにしたい。