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努力できる事自体が才能、真か偽か

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である

偉大なる発明家、トーマス・エジソンが有名になる前に発言したものが、記者によって日本語に翻訳されたものだそうです。
しかし、これは後にエジソン本人に否定されることになります

こんばんは、shiioです。今日は努力と才能について自分なりの解釈を語ります。ちなみに今回の命題、私は真だと思っています。

私が小さい頃に考えていた「才能」

ひとまず、「ひらめき」という部分を「才能」と置き換えてこの記事をすすめていくことにします。

私は、小さい頃は周りよりも賢い方でした。
勉強しなくてもテストの点が取れたし、物覚えも早い方でした。
幼い頃の私はこれが才能なんだなと勘違いしていました。

この勘違いに対する答えはただ一つ、「早熟」だっただけです。
最初から才能なんてありませんでした。

このことに気づいたのは中1、成績もどんどん下がり、さらには勉強をするという「努力」もできませんでした。
では、「才能」とは「努力」とは一体何なのでしょうか?

「努力」その正体は才能

皆さんは、「自分は怠けもので、どうしようもないクズだ」
と思ったことはありませんか?

人間というものはもともと怠けものです。

それでも何かに向かって、もしくは何かを改善しようとして努力している人、その人こそが才能のある人だと私は思います。

「努力できる事自体が才能」の否定

さて、意見というものは様々あり、みんながみんな同じ考えを持ってはいません。もちろん、自分に対する反対意見というものは真摯に受け止めなければいけませんし、頭ごなしに否定することはできません。

・この言葉を使うのは努力をしたことのない人、またはその言い訳
はい、ごもっともです。
現に私は、努力らしい努力はしたことがないと思います。
先程も書いた通り、人間は基本怠けものです。

・努力をして、成功をした人はこの言葉を使わない
はい、こちらもごもっともですね。先程の対偶の意見になります。
しかしこれも当たり前の意見で、例えばなにかのプロになった人に対してインタビューをしたとき、
「いや~僕は努力できる才能があったので、努力してプロになったんですよね~」
とは言わないですよね。自分は才能がある、なんて声を大にして言えないと思います。
「努力は誰でもできるよ」といえば美談になりますからね。

「努力できる事自体が才能」を否定する人って、、、

「努力できる事自体が才能なんておかしいだろ、怠けてる」
これを言う人は、実際に努力をして成功した人だと思っています。
「やるかやらないかです」←「才能があるかないかです」、といえます。

尊敬しています。
でも私達の気持ちも考えてください。
努力のできない、怠け者の私達の気持ちも。

1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になると言ったのだ

らしいですよ。エジソンは。
1%の才能もなければ99%も無駄≒100%才能で構成されている。
と解釈した場合、
1%のひらめき(才能)と99%の努力(才能)≒100%の様々な才能
と、私は思いました。

無理があると思いますか?
私も思います(笑)
完全にこじつけですが、自己解釈なのでご勘弁を、、、

まとめ

・努力できる事自体が才能という人も、それを否定する人も、それぞれの立場を理解できない

・私は努力できる人に頭が上がらない

・人類皆怠け者

・エジソン才能ありすぎ
です。

しかし、これでは怠け者どころか、何もできない廃人になってしまいます。
「努力」までは行かなくても、勉強、課題など
なにかに取り組まなくてはいけない瞬間というのはあると思います。

私は自分のことを廃人とまでは思っていません。
次回は、努力のできない私が頼っている心理学効果
についてお話します。

ありがとうございました。

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