Twitterにおける「無限ループって怖くね?」
Twitterは気軽につぶやけるため、リアルタイム感はある。しかしそれは刹那的で、note等のブログとは違って年月別やカテゴリー別等の形で一つのテーマの記事にアクセスすることはできないため、書いたことがすぐに流れてしまい、振り返るのが中々難しい。
日々リアルタイムの、その場その場の話題やフォロワーさん達の考えや意見、日々の出来事に触れることに特化してる。
だからだろうか?
フォロワーさん達のつぶやきや自分が書いていることとかがループしているような気がするのだ。
アマチュア小説書き界隈では、面白い作品はどういうものか? ウケる作品はどういう構造になっているのか? だとか話が面白ければ文章力はいらないのか否かだとか書く上でのスタンスがどうこうだとか、そういうこれといった正解のない議論がよく繰り広げられている。
正解がない故に定期的に似たような議論がされ、色々な人がそれぞれの特に変わることのない主張を繰り返しているのだ。そしてそれに対して様々な人が都度都度RTやいいねをしている。
他にも延々と仕事等の愚痴を言っている人はそれをもう何年も変わることなく飽きることなく繰り返しているし、これに関しては私もだったのだけれども10年以上前に完結した作品について幾度となく語り続けている。同じようなことを定期的に繰り返し何度も。
TLは常に流れているから、それに違和感を覚えることは普通はまずない。遡るにしても正攻法ではそもそものツイート数が膨大で骨が折れるため、通常はしない。
そのため皆、一定間隔で忘れ、また同じことを話題にし直し、反応し合う。
でも約10年間Twitterを続けていった中で一度そのことに気づくと怖く思った。
議論は堂々巡りして深まることはないし、愚痴を言っている人は現状を何も変えてはいないわけだし、完結作品に新たな論点は生まれるはずもなく、無理やり広げた解釈が徐々に歪になっていくのみだ。
そこには発展性も何もないのだ。
それが怖く、すごく嫌だと私は最近思った。
ループするのは、それがよくあるタイムリープ物のように惨劇に繋がる訳でもない限り、予定調和で心地が良い。現状維持が悪いとも思わない。
けれども少しでも現状を良く、何かしらを変えていけるように試行錯誤しながら生きていきたいと私は最近思うようになったのだ。
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