承認欲求を満たしたところでお金にはならない
明日、私は誰かのカノジョという漫画がある。
彼女代行サービスのキャストをやってる主人公雪の話から始まり、その周りの人達の話を転々としていっている感じで、現在は雪の友達のリナと同じサークルにいる、伊織っていう源氏名でソープ嬢をやっている瑠奈が主人公の話がサイコミで連載されています。
その第112話で、SNSをお店のアカウント以外でやっていないという意外だという客に対して瑠奈が
やってもお金にならないんで
と言う場面があるのですが、この瑠奈の台詞に私はそういえばそうだよなぁなんて思いました。
TwitterやInstagramにFacebook等のSNSのいいねや小説投稿サイトのブックマーク数等を稼いだところで、それらは基本的にはお金にはならない。
コンスタントに数千、数万単位で稼ぐ、小説の場合はオリジナルの長編でそれらができれば話は別かもしれないけれども、凡人がそれを達成することはまずできないし、そんなことに心血注ぐぐらいだったら普通に働くなりバイトした方が労力をかけずに確実にお金を稼げる。
ちょっとしたいいねやブックマーク数、noteの場合はスキですが、それらを稼いだところでそれは承認欲求が満たされるだけで一銭の価値にもならない。
お金を稼げるかという観点から考えると、それらの行為は無意味で無駄なことのように思える。承認欲求を満たすことに注力したところで、満たされるのはその欲求だけなのだから。お金だとか何か物的価値を生み出すわけじゃない。
瑠奈のようにお金を稼ぐということを重視するならば、これ程無駄なことはないよなと。
もちろん、必ずしも価値があること=お金にはならないし、物事の価値はお金や物的なものでは計り得ない。精神面での充足にも人によっては重要だったりするから、結局のところその人が何を重視するかが大切なのだと思う。
私がこうしてこの記事のようにnoteを書くことだって、これまでやってきた小説を書くという行為やTwitter等のつぶやきだって一銭の価値にもならない。金銭的利益を得たことは一度だってない。
でもなぜだかずっと続けてきている。
そんなに評価もされないし、明確なメリットなんてないのにも関わらずだ。
一体自分は何に価値を感じているんだろう?
そして何を目指したいんだろう?
そんなことを考えつつ、今回も文章を書いていました。
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