旧統一教会は悪だと思っている人は宗教問題の本質が分かっていない

今から書く事は、統一教会を擁護してると受け止める人もいるかもしれないが、そのつもりは全くない。 皆が悪だと思ってるのに、なぜ消えないのか、取り締まれないのか、それを理解するには宗教問題の本質を知る必要があるのだ。

安倍元総理を銃撃した山上哲也は、母親が統一教会にのめり込み、家庭を顧みる事なく全財産を教会に注ぎ込み人生を狂わされた。

ここで重要なのは、人生が狂ったのは山上で、信者当人の母親の人生は狂っていないと言う事だ。母親は事件後も信仰を辞めなかったし、統一教会の批判もしなかった。 しかし、こうなった責任は信者当人にあり、統一教会の責任ではない。

もし、これが統一教会の責任だと言うなら、例えば競馬やパチンコで身を滅ぼした場合は誰の責任になるのか? JRAやパチンコ屋の責任にはならない。
本人が勝手にハマっただけで、強制的にやらされてるわけではないのだ。
殆どの人は上手くやり繰りして楽しんでいるのだから。

つまり宗教も、脱退を認めないとか、強制的に壺を売るなどしない限り、その宗教団体は悪とは言えないのである。
脱退の自由も、壺を買わない自由も保証されているのだから、全ては本人の意思だ。 だからこそ警察も取り締まりが出来ないのだ。
たまに現れる悪徳宗教団体は、そこを強制するから取り締られて消えるのだ。
(信者たちから被害届が出るから判明する)
その違いを認識する事が重要だ。

強制ではないにしろ、上手いこと言って高価な壺を買わせられたら悪だと言うかもしれないが、世の中そんな事は日常茶飯事である。
原価が一万もしないようなブランドバッグを50万で買ってる人は、皆満足してる。ブランドという口車に乗せられてるのだ。 ブランドを高い物を売り付ける悪だから取り締まれという話は聞いた事がない。
高価な壺も、信者にとってはブランド品と同じだ。

宗教問題の本質は、本人問題ではないのだ。
本人と宗教団体の間には、何の問題も発生していない。
壺や寄付に全財産使おうが、本人が納得してるのだから。
だから家族が迷惑しても、警察は取り締まりようがない。

宗教問題は、ギャンブル依存症と同じ。
本人は夢中で幸せだが、家族が迷惑する。
それでも、競馬やパチンコ自体が批判される事はない。ギャンブル依存は一部の人間が陥る事で、本人責任だと考えてるからだ。

宗教問題はこれと全く同じ構図なのだ。
ギャンブル依存にならない様気をつけるのと同じに、宗教依存にならない様気をつける(気をつけさせる)しかないのだ。

納得できない?
壺とブランド品の話は別物だと思うなら、物事を客観的に考えられない人だ。 
ブランド品に価値を感じるのは完全な主観である。
でも大勢の人がそのブランド品を買っているので、その価値は客観的なものだと勘違いする。 
一方、壺は世間一般では、骨董品や美術品でもない限りそれ以上の価値はなく、高額で売るのは悪だと思ってしまう。しかし、それはあなたの主観であり、信者の主観では壺は価値あるものだ。
ブランドは善で、壺は悪であると客観的に説明できない限り、高額な壺を売る行為を、信者を騙す悪い行為とは言えないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?