こわしたくなかった夢の話
起きてるあいだもよく夢を見る。
むかしからそうで、
このごろよく見ていたのは
どこか観光地、でもなんでもないところへ向かう3両電車
窓の外には草むらがツヤツヤしていて
(まえに見た垂井町あたりの景色だ)
向かい合わせの青いシートに座った3人が
虫の話とかうまい棒の話とかをしたりしなかったり
やんややんや
どこいくのかな
そんな光景を何度も見ていた。
楽しそうな夢がいくつかうまれて、
でもそれはどれも夢で、
届きそうで届かない夢を見つづけるのは苦しかった。
だから、叶えようなんて考えもしないいつもの夢にするために
わたしは逃げ出してしまった。
というのは理由の一つで、
じわじわ追い詰めてきたほかのやつらから身をまもるために
なぜか大切なほうを手放してしまったのだ。
わけがわからないけど、わたしはいつもそう。
「大切になりすぎてしまうから」と心理士さんは言ってくれた。
そう表現してくれたけど、大切なんだったらもっとなんか
下手すぎだろ!
だれかと仲良くなりたいと思ったことがあんまりなかった、
から、どうしたらいいのかわからなかった。
さみしかった。
ほんとうにほんとうにさみしいときの「さみしい」は
ちょうど今日みたいな雨風吹き荒れるまっくらな夜のようで、
開けた窓のすきまから手を伸ばそうとするには
なかなかぞっとする冷たさがある。
もしだれにも触れられなかったらそれは
ほんとうのほんとうのほんとうにさみしい「さみしい」になってしまうから
これ以上さみしいが上乗せされたら耐えられなかったから
だから今わたしはほっとしているんだな。
残念だけど、上乗せはもうないから大丈夫だよ、ということなんだな。
(noteってすごいな、いつも書いてる途中で言いたいことに気づく、noteには魔力がある。)
わたし自身は前に進んでいる。
「それ、さみしいってことだよ」と
人に言われなきゃ気づかなかった頃から比べたら、それはもうすごい進歩だと思ってる。歩みは遅いが。
だからきっといつか、さみしさと、人と、うまくつきあえる日は来ると思ってる。
でも、それはいつなのかな。
そのためにまた優しい人を使い捨てるみたいなことはしたくないんだ。
そしていまどうしたらいいのかな。
あした目が覚めても雨。
やさしい雨だといい。