気付きたくなかったよ、生きづらさ。
こんばんは、しぃです。
ADHD、ASD、鬱病で精神障害者保健福祉手帳3級を持っています。
21歳の時に精神科を受診して、22歳で晴れて手帳持ちになりました。
気付きたくなかった生きづらさに向き合いながら、何とか生きています。
小さい頃は、よく寝る子供でした。
そして、よく食べる子供でした。2歳の頃は毎日食べたいものを聞かれたら「うどん」と毎日答えていたそうです。勿論物心がつく前だから当たり前に覚えていないけど、今でも気に入った食べ物は毎日でも食べたいです。
保育園に通っていた頃は、自分一人で絵本を読んでいる方が好きでした。
誰かと一緒に遊んでいても、さっき読んだ絵本のことが気になって集中できなくて、途中で離脱したりして、気がついたらひらがなも、カタカナも、簡単な漢字までも読めるし書ける子供になりました。
小学校にあがったら、絵本よりもっと面白い本に出会いました。
出来ないことが出来るようになるのが何より楽しくて、そんな自分にうってつけの本、それが教科書でした。
テストで100点ばかりとりました。九九もクラスで真っ先に覚えました。
でも、ノートは真っ白でした。小学校の授業のペースは自分には遅すぎて、授業より先のページの問題を1人で解いて、先生に当てられたらページを戻る。そんな授業態度だったからです。
それでも、先生にはあまり怒られませんでした。授業妨害をするでもなく、理解が出来ていないわけでもなく、大人しい先生にとってのいい子だったからです。
小学校の授業がつまらなくなって、塾に通うようになりました。中学受験の専門塾で、はじめて見ただけで解き方が分からない問題に出会いました。
算数のテストで30点なんて点数を取ったのははじめてで、ショックをうけると共に喜びを感じていました。まだ、先があるんだ、という喜びでした。
幸いにも勉強の才能があって、最難関と呼ばれる学校に合格するまでになりました。
でも、そこでそれまであった勉強への興味がぱったりとなくなりました。もうやり切った、そんな思いさえありました。
中高一貫校を惰性で過ごして、時々だけやる気を見せながら続くこともなく、気がついたら高校3年生になっていました。
大学受験の結果は散々で、3月の中旬まで受験し続けて、結局6年間で学んだことを一切活用しないで、1週間だけ勉強した小論文と面接だけの試験で合格したFラン大学に入学しました。
ここまでの18年の人生は、自分にとっては楽しくて、順風満帆な人生でした。
普通の人生を送っていたし、これからも普通の人生を送っていくんだろうと、思っていました。
それなのに、大学生になってからの人生は、違和感の連続でした。今まで何となくどうにかなってきたことが、全て上手くいかなくなりました。
自己責任の大学生活なのだから当然な訳ですが、当時の自分ははじめて自分の生きづらさに気付いて、気付けば鬱病になっていました。
大学に行けなくなって、留年しました。
バイトにも行けなくなって、借金が出来ました。
最終的に家から出られなくなって、引きこもりになりました。
この時はまだ、自分が発達障害だと知らなくて、ただ鬱病なだけだと思っていました。
実家暮らしでしたが実家にいると、両親が心配して声をかけてくれるのが煩わしく感じて友人の家に入り浸るようになりました。人の家で廃人のように引きこもり生活を送って、(受け入れてくれていた友人に感謝)お酒とタバコと自傷行為に明け暮れました。
ある日、本当に消えたくなって、母親にLINEを送りました。
「もうむりだよ」「もうつかれた」
その時が、本当に自分の人生のどん底でした。
本気で死にたかった。でも、どこかで死にたくなくて、最後に母親に送ったSOSが、人生の転機になりました。
母は、すぐに仕事を休んで、会いに来てくれました。その時悩んでいたことを話して、全部は話せなかったけれど(母は自傷行為のことは今でも知りません)話すことで自分で自分を見つめ直す機会にもなって、上を向けるようになりました。
ここで、なぜ自分がこんなことになったのかの原因を調べだしました。色んなことを調べて、たどり着いたのが発達障害でした。
小さい頃、うどんばかり食べたがっていたのはASDの強いこだわりから。
学校の授業が聞けなかったのはADHDの不注意から。
それでも勉強が出来たのはASDの過集中から。
そういえば忘れ物も無くし物も多いし(ADHD)、初対面以外のコミュニケーションは下手くそで(ASD)、これまで何も気にしていなかったはずの過去の出来事が急に発達障害の症例になりました。
程度を知りたくて精神科に通院してみれば、グレーゾーンという言葉からはかけ離れていました。
「よく今まで普通に生きていましたね」と医者に言われるくらいで、あっという間に診断がくだりました。
自分のことを知るために発達障害について沢山調べました。当てはまることばかりで、知りたかったけど知りたくなかったことばかりでした。
自分は、人とコミュニケーションを取る事が好きです。お喋りマシーンで、言葉を紡ぐことが好きです。(だからこそnoteにいます)
でもASDは、コミュニケーションの障害で、医者のお墨付きのコミュニケーション下手だったのです。
そういえば暗黙の了解は分からないし、人の顔色とかも分かりません。社交辞令が分かりません。
普通の人が考えれば分かるコミュニケーションの方法が、自分にはその考えが浮かびません。
ASDは治療薬も治療法もなくて、対処法はコミュニケーション方法を"覚える"しかないそうです。
普通の人が自分で思いついて習得するコミュニケーションのパターンを、わざわざインプットして覚えることでしか、習得することが出来ないのです。
自分のコミュニケーションが下手くそで、他人を不快にする可能性があると知ってから、人とのコミュニケーションが怖くなりました。
自分の言動全てが他人を不快にさせているのではないかと思って、迂闊に発言出来なくなりました。
お喋りマシーンで、話すことが生きがいの自分にはつらい気付きでした。
こんなことなら、ASDだと気付きたくなかった。
気付かなければ、何も気にせず話せるのに、"もしかしたら不快にさせているかも"という思考が常に頭にありながら話すのは、結構辛いです。
でも、周りの人を不快にさせたまま生きていくのは嫌だから、何とか頑張って生きています。