やきもの(陶芸)の体力戦 1
やきものには3つの戦いがあると書きました。
1 作る
2 詰める
3 焼く
今回は、焼く(焼成)です。
陶芸というと思い浮かべるのは「作る」か「焼く」かではないでしょうか。
汗だくになりながら、窯に薪をくべての炎との闘い…
のようなシーンを思い浮かべるかもしれませんね。
時代が進み、今では様々な窯があります。
電気窯、ガス窯、灯油窯、薪窯。
各窯の特徴はそのうち書けたらいいなぁと思っています。
薪窯
紫峰窯は、薪窯です。
弥生時代人と同じことをしています。もちろん、
窯の作りや素材が違うので全く同じわけではありません。
でも、
基本的にやっていることは一緒。
薪を集め、薪をくべて、器を焼く。
窯焚きをしている時、魔の時間みたいな、
ふとした瞬間によぎることがあります。
2000年という時間の不思議さ、
なぜ、薪窯がいまだに存在し生きているのか。
現実に流れる時間の問いかけ、
なぜ、自分は薪窯で器を焼いているのか。
薪窯が続いている意味
不思議です。
時代が進み、技術が進歩し、燃料が変わる。
人の価値観も変わり、時間も加速している。
なのに、薪窯が存在し生きている。
昔の窯をそのまま使っているわけではありませんが。
2000年前に電気ってあった?
2000年前にガスってあった?
2000年前に灯油ってあった?
技術進歩によって便利な装置(窯)が生み出され
より安全に短時間で効率よく器を作れるようになったのは事実。
にもかかわらず、
なぜ、いまだに薪窯は生きているのだろう。
とっくに消えていてもおかしくない気がします。
危ないし、大変だし、時間かかるし、歩留まり悪いし…
人の奥底に眠る感覚を駆り立てるもの
かなりの煙が出ますし、昼夜を問わず火が出て危ないので、
住宅街とかでは絶対にできません。
だから、
薪窯は自然の中で焼成します。
湿度、気温、風、さまざまなものに影響を受けます。
自然は人間の思った通りになってくれませんし、
それが当たり前です。
時には助けてくれるし、
時には牙をむきます。
自然と一緒に焼成し、窯から出された器は、
一つ一つが違う表情を見せ、
弾くとピンピンと高い音が聞こえ、
触れるとじわっと温かさが伝わり、
薪で焼かれた匂いがし、
土と薪の豊かな風味を感じ、
まさに、自然そのもの。
人の五感をそっと撫で上げ、
なんとなく懐かしさを呼び起こします。
きっと、
森や海から採ってきたものを器に使っていたDNAを
人が受け継いでいる証拠なのかもしれませんね。
薪窯を焚く意味
便利なご時世、なぜ薪窯で焼成しているのか。
自分のことながら不思議です。
電気やガスの方が、
時間はかからないし、危なくないし、
燃料を確保するのも簡単だし、体力もいらないし
…なのになぜ?
一度やったらやめられない
薪窯で焼成する醍醐味は、やはり不確定要素です。
窯の癖が分かればある程度までは焼き上がりはイメージできます。
でも、窯開けするたびに
うわーって喜んだり、
うわーってがっかりしたり、
とにかくコロコロと感情がよく動きます。
薪窯を安定させて焼成するのは、とても難しく、
歩留まり(完品になる確率)がほかの窯と違って著しく低い。
特に攻めた焼成をするといい子が取れるけど、
完全にさよならする子たちの数が尋常じゃないです。
窯焚きでは、
何をねらって焼く(ゴールを決め)のか、
どうやって焼く(方法を決め)のか、
どうすればいい(アクシデント時の対応)のか、
いろいろ焚く前に決めます。
この段階がかなり重要。
窯焚き中は、目の前の窯に集中しなければならないので、
迷っている暇はありません。
迷っていると、窯神さんにそっぽを向かれたりしますので。
準備万端で火入れしても、
気まぐれな窯神さんは、時に優しく、だいたい厳しい。
こちらから感じる窯の様子は、
窯神さんがちょこっと見せてくれるヒントです。
音を聞き、煙の色や炎の色を観て、色味で温度を見る。
そこから窯の中や作品の状態を想像して窯を焚きます。
たぶん窯の中の状態は酸素が多い、とか
上下の温度差はこれくらい、とか
自然釉はこれくらい溶けているはず、とか
火の流れはこんな状態のはず、とか
目の前の情報と経験からの想像をパズルのように組み合わせ、
自分の求めている焼きになるように、
調整しながら窯を焚く。
不確定要素が多いからこその、時々で判断する必要性。
薪窯で窯を焚くということは、
観察力、想像力、判断力、そして体力の総力戦。
火を止めるその瞬間、強く思うのは「面白かった」
一度やるとやめられない
中毒性の高いやきものなのです(笑)
長々お付き合いいただきありがとうございました。
次回から、実際の窯焚きを書いていきます。
お楽しみに~