M-1グランプリ 2020
メモに残していた感想を記録
2020/12月記録
【はじめに】
今回は優勝者に焦点を当ててまとめてみました。素人が堂々と解説してごめんなさい。よろしくお願いします。
【優勝:マヂカルラブリーのネタに関して】
○概要○
小ボケ① 野田の登場時の正座
小ボケ② 漫才つかみ「笑わせたい人がいる男です」
⇨観客の笑い声が思ったより少ない
=観客の「迷い」ここで笑っていいのか?
ここで観客側の笑いのボルテージは満杯になっている
大ボケ③シュチュエーションに入ってすぐのフレンチに勢いよく入っていくくだり
⇨溜まっていたボルテージが爆発。ここで一気に会場をマヂラブの世界に染める。
残りの3分ほどはやり切るだけ。ここからこれ以上のボケはなかったので、いかに観客を飽きさせないか。締めはキーワードであった「ナナメ置き」で綺麗に完。
後半は、2人も自信があったつり革ネタ。これを優勝を決める後半に残しておいた野田の判断力。野田が電車内に入ってきた瞬間、まるで自分も中央線の中にいるかのような臨場感で、1人の勇者の喜劇を見入っていた。上沼恵美子の言うように、バカは突き通せば芸術なのかもしれない。
○注目ポイント○
・フレンチでは、紹介含めた2:23あたりで野田が甘噛み。つられて村上も甘噛みするもすぐに持ち直し、シュチュエーションの大ボケに突入。
・村上が観客の先頭をきり、リードしていく。観客全員の想いを、落ち着いたちょうど良いテンポで代弁。さらに、野田の動きだけでは伝わらないため、村上がボケの補助的役割も果たしていた。ここに観客を置いてけぼりにしなかった所以がある。
やはり、村上無しではマヂカルラブリーではない。
・野田のネタ順判断力
野田はネタ順を直前のCMの間に変えた。出番は会場を沸かせたおいでやすこがの後だった。会場の空気を読んで一か八かの賭けに出て、フレンチを前半にし、優勝者を決める後半に、予選で跳ねたつり革を持ってきた。冷静な野田の判断力と、それに即応できる村上には脱帽する。
【マヂラブの漫才は正統派漫才なのかと言う議論について】
そもそも、漫才に正統派も何もない。
「伝統的な漫才が評価されるべき」等といった軽薄な意見が多く集まっており、憤りを隠せない。
「どんなジャンルでも、詳しくない人間が定義に口出しするようになった時は既に文化として成熟してきていると言えます。」
(引用:大島育宙note なぜ「あれは漫才じゃない」と言わなければならなかったのか【M-1グランプリ2020を巡る考察】)
この不毛な論争は、上記の通り、M-1グランプリが日本の文化になりつつある象徴だと自分に言い聞かせ、憤りは落ち着けた。そもそも、多くの知識人が言うように、その場で1番面白かったコンビが優勝すべきで、今回の彼らの優勝は会場の笑いの量的にも正しいと思う。
現に、過去に優勝したコンビにもコント漫才は溢れている。霜降り明星だって、せいやの多動なボケに粗品が鋭いツッコミを重ねていくスタイル。サンドウィッチマンだって、シチュエーションのコント漫才だ。
その中でも今回のマヂカルラブリーは、動きの激しさからか、普段お笑いを見ない無知な素人の批判の標的になってしまった。野田はただ、令和のチャップリンなのに(大学でチャップリンの授業を受講していたが、白黒で毎回寝てしまったので、チャップリンを楽しめるレベルに達してはいないことは考慮したい)。
【予想と結果】
近年の風潮として、知名度の低いコンビ(特に学生お笑い出身者)が優勝する傾向にある。おそらく見る側の免疫が無いからだろう。「知らない」と言うことは無限の可能性を秘めており、笑いのハードルも低いため、跳ねた時の爆発力は大きい。
また、芸歴の長いコンビが出場資格を失う中で、若いコンビの割合も増えている。その点で、年齢が高いというのは、フレッシュさが無いと言う点で逆に際立ち、アドバンテージになると考えた。
この2点を考慮し、知名度の低い年寄りである錦鯉の優勝を想定していた。ちなみに、2位は見取り図、3位は敗者復活戦コンビと安易に予想をたてていた。
しかしながら、予想は見事に裏切られ、おいでやすこがが前半首位。知名度が低い&年齢が上、という観点で見れば、完全に外したわけでも無いが、それにしても予想外だった。筆者の知識がなかっただけで、おいでやすもこがも、芸歴は長く、コンビ解散を繰り返したりとかなりの苦労人だ。そんなピン芸人2人の相性が良かったのと、本格的な漫才師の中であえて歌ネタで挑むという作戦勝ちだった。準優勝を取ったことで、こがが漫才に本腰を入れ始めたので、来年どうするのか期待したい。
見取り図は、巨人が直球で好むような、今回の出場者の中では特に、和牛に近い安定した古典的スタイル。リリーの甘噛みが少し気になったが、盛山が緊張の中しっかりフォローしていて感心した。こちらも、また来年に期待したい。しかし、和牛のように、新進気鋭の漫才師に場の空気をかっさわれないように気をつけたい。
【最後に】
今年のM-1を通して気づいたこと。それは、見る側が、無意識に漫才を心証評価をしているということだ。【予想】で前述した知名度の低さや年齢は、ただのハンデや特徴にすぎない。その人自身の歴史や背景、その人から漂う哀愁や可愛らしさ等、パーソナルな部分が実は重要で、観客はそんなパーソナルなフィルターを無意識に通して漫才をみているのかもしれない。これは、悪く言えば”偏見”とも言える。その”偏見”をストレートに偏見のまま表現し、笑いにすることもできる。一方で、見る側が全く予想しない展開でギャップを生み出し、”偏見”を笑いに変えることもできる。
優勝したマヂカルラブリーは、この理論に当てはめると前者だ。上沼恵美子との長年の対立関係。一度酷評された後も「えみちゃんまっててね!」のくだりで会場を沸かせてきた。「すごい滑ってたけど、頑張ってるな。可愛らしいな。」そんな偏見を持ち、彼らを世間はずっと見守ってきたから、野田が決勝の場で床に転がった時、ボケに対する純粋な笑い以外にも、応援や驚嘆などのさまざまな感情が混じり合い、どっと笑いが起きた。
結局、根性論になってしまうが、決勝•準決勝に常連で進出しても自惚れず、一歩一歩丁寧に前進していった者に、笑いの神は微笑むのかもしれない。今後、M-1戦士たちには、ネタだけに注力するのではなく、自らがエンターテイメントの一環である自覚を持ち、パーソナルな部分でも世間と繋がってゆく、そんな姿勢を持ち続けて欲しい。