vol.2 ローカルの会社で編集者として働く
もう一度編集者として働きたい
浜松駅から車で10分ほど、住宅街の一角にある小さな事務所が私の新しい就職先だった。事務所の1階は駐車場となっており、階段をのぼった2階がオフィス。建築資材を企画販売したり、全国の工務店を支援したりする会社だ。私はこの会社でインハウスの編集者として働くことになった。
会社を訪問するため浜松をはじめて訪れたのは、浜松に引っ越す2か月前のこと。当時務めていた会社の契約期間が残り半年を切っており、心配性の私は早々に転職活動を始めたところだった。
まずは当時の仕事だった社会人教育の分野で職を探した。私は大学卒業後、雑誌編集者を6年ほど続けた後大学院に進学した経歴があり、同じく学びに意欲的な社会人をサポートする仕事を続けたいと思ったからだ。しかし、一社目の面接を受けた時の感触から、同業種内での転職が難しいと実感した。なぜなら、自己 PRをする中で、社会人教育の知識や必要とされるスキルがまだ乏しく、戦力になら無いことを痛感したからだった。
もっともこのとき、エージェントなどをつかって転職活動をしていれば、もう少しスキルの掘り起こしや多様な選択肢を持てただろう。せっかく一度編集者の身から研究に専念したのだから、その経験を生かしてあらためて職業人としてもっと違う自分になれるチャンスでもあった。しかし、私はそうはせずにあっさりと自己判断をしてしまったのだ。ほぼ未経験からのスタートを決意するには、年齢的に少し遅いと感じてしまったし、それほどの決意をもってやりたい仕事かというと、そうではなかったのだろう。
一社目の面接を終えた帰り道、私には「やっぱり編集のスキルが自分の売りになる」という確信が芽生えた。自信をもって自己PRできる部分がそこだったから。早々に新しい道を諦めたとも言えるが、どこか本来の自分に戻れるような希望も感じていた。今の自分であれば昔とは違う編集ができるのではないかという自信も湧き上がってきたのである。
導かれるような出会い
あらためて編集の仕事に向き合ってみようと思った矢先、かつてお世話になった編集者さんから、浜松の会社で編集者を探しているが興味あるかと連絡があった。とにかく急募だと前置きされながら。
私は何かに導かれるようにして、求人先の代表の方と連絡をとり、5日後には新幹線に乗って初めて浜松を訪れた。
浜松駅で私を出迎えるべく、改札口で立っていたのは、事前に確認していたプロフィール写真よりもずっと痩せた白髪の男性だった。社長自ら車を出して迎えに来てくれたのだ。白のアクアに乗車し、駅から10分程度のオフィスに到着した。オフィスは天然木の無垢のフローリングに、窓には障子が張られていた。オフィスらしからぬ設えに、空間への強いこだわりが感じられた。訪問日はゴールデンウィーク中の祝日だったため、オフィスにはほかに誰もいなかった。
社長とは2時間ほどだろうか、たっぷりと話をした。会話のほとんどは社長の熱い想いだったと記憶している。この会社では、工務店に向けた情報発信を行ったり、工務店のパンフレットなど印刷物を制作したりすることが多いのだという。そのため、社内に編集者が必要だと考えたそうだ。
私は、住宅業界の専門知識はそれほど多く持ち合わせていなかったが、社長が好む世界観やイメージは理解ができた。何より、社長と意見が合ったのが、これからはローカルの発信が大事だという考えだった。全国にいくつもある工務店はこれからより一層発信力が試されるだろう。そこで重要なのは、広報担当者がローカルに関心を持ち、その土地の歴史や風土を発信していくことである。大手住宅メーカーに対し、工務店が選ばれるのは、ローカルに根差したあり方に生活者の共感が得られたときである……。
私が考えていた転職の条件の一つは、価値観が似た人のもとで働くことだった。そういった意味では、社長はまさに理想の人だった。もはや浜松に移住し転職することにためらいはなかった。就職の意思があることを伝えると、社長はとてもうれしそうにその場で内定を出してくれた。
彼と一緒に浜松で働く
一方で、面接で印象的だったのは、彼氏はいるのか、結婚の予定はあるかという質問だった。よくよく考えてみればその心配は採用側としては当然かもしれない。せっかく就職しても、結婚したいので東京へ戻ります、となったら大変だ。ただ、当時の私にはその質問がとても不思議でならなかった。結婚するからといって仕事を辞めるような選択を自分がするようにも思えなかったし、結婚したとしてもそれが仕事の障害にならないとも思っていた。子どもの予定を聞かれても、どこ吹く風。それだけ私は仕事中毒人間だったのだ。
とは言え、当時の私にはその質問は無関係ではなかった。実際付き合っている人、結婚を約束している人がいたからだ。面接のため浜松を訪れる前、私は彼に「もし浜松に就職が決まったらどうする?」と聞いていた。「もしそうなったなら、自分も仕事を辞めて一緒に浜松へついて行く」。彼は迷いなく、むしろ楽しそうにそう即答した。お互いに浜松に縁もゆかりもなかった。私たちは東京での暮らしに踏ん切りをつけて、新しい環境で生活を始めることに前向きなタイプだったのだ。
結婚予定のある彼も浜松についてくるという話を社長に伝えると、「であればうちの会社に来てはどうか。一緒に編集の仕事を手伝ってもらったらいい」とのことだった。彼と一緒の会社で働く?? 東京では考えられないような話だが、これが地方ならではの柔軟さあるいは緩さなのだろうか。少々不安に感じながらも、彼と一緒に仕事が出来るなど幸運としか思えなかった。
彼氏彼女で同じ会社で働く、しかも小さな会社に在籍するなど、うまく行くわけがないと今ならわかる。ただ、そんな冷静な判断もつかないほど、私にとって浜松行きは渡りの舟であり、乗るしかない、流れに任せるしかない決断だったのだ。
私の移住を追うように、ほどなくして彼が勤めていた会社を辞め、浜松へ合流。二人での浜松生活が始まった。