なりたくなかった「前はこうだったのに」というやっかいなファンになってしまった
SixTONESとSONY、SexyZoneとユニバーサル、ずっと考えてる。
デビューしてから前ほど好きじゃなくなってしまった、好きじゃなくなったというのはたぶん、少し、正しくない。
けど、熱量を持って一挙手一投足にワーキャー言えなくなってしまった。
あれだけ望んでいた、夢にまで見た、声高に叫んでいたすべての願い——渋谷の街頭ビジョン、グループCM、アルバム、既存曲の音源化、がおおかた叶っている環境にいるのに、だ。
Instagramは開設当初の3倍を超えるフォロワー数だし、YouTubeを出せばTwitterのトレンド入りは常だし、急上昇にも入る。「ねえ今日トレンド入りしたらおもしろいね」とか、正規ルートであげられてないパフォーマンス動画を回すこともなしに。
デビューして確実にファンが増えているし、全部ぜんぶ強く望んでいたことだった。
でもずっと8.8から喉に小骨がつっかかったままみたいな違和感が地続きであって、いまも。
少年たちでもらう一曲一曲に勝負を賭けて選択して、これだ!というパフォーマンスをかます姿とか、先輩の曲に敬意を払いながらも自分らの曲かのように昇華するクリエイティブさとか、個々人の好きなこともやりつつ、持ち曲と先輩の曲どちらも使いつつその音楽自体の魅力とグループの魅力の相互作用を爆発的にうむようなセットリストをぶつけてくるところとか、天井なしに上を目指しているような開拓者のぎらぎらした目をした彼らがしぬほど好きだった。
デビューしてからそういう姿が見えないとかではもちろんないんだけど、なんだろう、なんだろうって考えるとやっぱりレーベルに所属したということは大きい気がしていて。
当然商品にはどういうふうに届けるか、どの層に届けるか意図がある。
最近見る彼らは音楽も衣装もスタイリッシュでアーティスト然としていて、洗練されたアーバンな印象が、少なくともパッケージやパフォーマンスでは多い気がしている。もちろん、かっこいいと思ってる。なのに続けて逆説の接続詞が頭に浮かんでくる ───────
たぶん、望んでいる時間が経過すればするほど、かつてのいろいろな想像や夢や妄想は、明確な輪郭を持ったエゴになってしまっていたのかなと思う。
その欲といま目の前にあるもののズレが、気持ちをドライブさせなくなっているのかな、
応援していた側が勝手に望んでいたレールに乗って欲しいなんてめちゃめちゃなエゴなのに、自分の好きなものをこうしたいああなってほしい!と思うばかりにそれとのギャップでしゅんとするなんて身勝手でなんて滑稽な話なんだろうとつくづく思う。
けど明確に好きで強くて無二!と思っていた部分が、見えない、最大化されていないのはやっぱり思うところが、なくはない。同時に彼らだけが前を向いているのに、自分は一緒に来た道だけ振り返っているようなさびしさというか悔しさというかよくわかんない気持ちもある。
これと同じ様な話を、ポニキャからユニバーサル移籍の件でセクゾのファンの子も話していて、環境は違えどそうだよねえ、となった。
ポニキャの至高のJPOPが集まる、セクシーゾーンらしいとしか言えない曲たちが集まったアルバム、ほんとにほんとに最高だもんね...「恋がはじまるよー!!」「pheromone」「極東dance」「Unreality」etc...
ファンがおもうグループのコアな魅力Aと、世間からみた(もしくは受け入れられやすい)グループの魅力B、Bのほうが多くの人に受け入れられやすく数字につながるとしても、やっぱりAが前面にでているときがわたしたちは好きだよね、と。もちろん双方を常に内包してはいるんだけど。
アイドルグループって、個々人が意志を持った人の集まりってだけで複雑なのに、さらにそれがずっと形を保つには現実的に、魅力的な「商品」でなければならないから。同じ形であり続けるわけがない。
そうやって続いていく以上、きっと誰かが好きになる段階で、「前はこうだったのに」という人もいて、いつだってどのグループだってそういうふうに循環していくのかなあとぼんやり思っていたものの、ここまで大きく体験?したのははじめてだったなあという話。
深くて脆くて多面的でノンフィクションとフィクションがないまぜになっている「アイドルグループ」という存在自体がすごく興味深い対象で大好きだから、この文章のおわりとしてはちぐはぐなのかもしれないけど、やっぱりこれからも「アイドル」のファンをやり続けるんだろうなあと思う。
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