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『漫才過剰考察』笑いと知名度の不思議な関係


『永野&くるまのひっかかりニーチェ』(11月29日 YouTubeにて)

笑いの本質はネタではなく知名度?


テレビ番組『永野&くるまのひっかかりニーチェ』である話題があった。ウルトラ平たくいうと、お笑いで優先するべきは「知名度」か「ネタ」か?

永野、ウエストランド井口、令和ロマンくるまは「R-1グランプリで優勝したいなら知名度上げろ!ったりめーやろが!」と叫ぶ。

彼らは皮肉で言ってるんじゃない。素朴にネタじゃなくて知名度が大事だと訴えていた。
知名度とネタどちらが重要なのか?


さっさと結論をいってしまえば、笑いとは知名度である。

千鳥の有名なエピソードがある。彼らは東京進出したとき、劇場で自信のあるネタをやったが、全くウケない状態だったという。
その後「テレビで自分たちのことを知ってもらおう」積極的にテレビ番組の仕事をした。その後に再び劇場に立ってみた。お客さんに大きくウケけた。披露したネタは、あの当時ウケなかったネタだったという。



なぜウケるようになったのか?

知名度だ。それだけだ。「いやいや千鳥は元々ネタ面白かったから」と思うだろう。だけど、もしそうだとすれば、千鳥は同じままで、彼らを見つめる大衆の方が変わったということだ。
千鳥はテレビでよく知ってる。これから自分の目の前に出てくる。面白い人たちだったと思う。といった気持ちが笑いをブーストさせるのは、よく考えればすぐ分かる。

「知っている」ことと「笑い」には深い関係がある。



その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かった――。

変な話じゃない。身近なものを考えればいくらでも似たことはある。知らぬ他人をモノマネをされるより、担任の先生のモノマネをされた方が面白い。

芸能人が手の込んだ落とし穴に落ちるよりも、友達が氷でコケた方が面白い。知らんメジャーリーグを見るよりも、夏の甲子園を見るほうが遥かに面白いのもそうだろう。知り合いが出る試合なら前のめりにもなる。

さてそう考えるとどうだ。目の前の芸人をよく知っているか知らないか。知ってる芸人なら良し。好きめならもっと良いのだ。笑う前から「知名度」によって笑いは仕込まれている。笑う前から笑いは決まってる。

その意味では、知名度で笑いが生まれやすくなる。だからテレビに出るのは大事だ。知名度を上げるのは良いネタを作ることと同じようなものと考えていい。何なら「ネタを仕込む」を言い換えて「知名度を仕込む」といって良い。


実はミルクボーイのコーンフレークはM-1前からスベっていたネタ

とはいえ、初見だけどネタが面白くて笑うこともある。たとえばミルクボーイ。彼らは全国系のテレビ番組に出なかった。ところが初出場のM-1グランプリ2019で歴代最高点を出した。

同じく出場していたインディアンス、彼らは当時を振り返って「トイレまで会場の笑い声が聞こえた」と語っている。ネタだけで勝つ。これぞお笑い芸人といった感じ。

彼らがM-1グランプリ2019で披露したコーンフレークとモナカのネタ。それで優勝した。変えるところが見当たらない完成度だと評判だ。
ところが、M-1放送日が間近にあっても劇場ライブではウケないことがあったとインタビューで語っている。

内海 そうですね。けっこう、スベってましたよ。でも、おもろないこと言ってスベってるわけじゃなくて。
駒場 そうそう。おもろいけどスベってたという。わかります? その感じ。

ミルクボーイほど仕上げてもウケない。でもウケる日もある。ネタは間違いじゃない。間違いになる日もあれば、間違いじゃない日もある。晴れたりくもったり雨が降ったり。ミルクボーイが言うように、おもしろいけどスベる。だとすれば完璧なネタはない。


つーわけで、まとめ1【むしろココだけ読めばいい】)


これまでの話をまとめてみる。笑いは知名度だ。

冒頭で触れた千鳥。テレビで知名度を上げることでウケるようになった。つまり、その人が知られていれば知られているほど人にウケやすくなる。
知られてないままでは人はネタを面白く感じてくれない。


そして知名度なしのままM-1を優勝したミルクボーイ。M-1史上最高得点の漫才でさえ、日によってはウケない。絶対にウケるネタはこの世に存在しないという事だ。ミルクボーイの先の言葉をかりれば「おもろいけどスベる」。ネタをどこまでも突き詰めたとしても絶対ウケるわけではないのだ。

それなら、もうお笑いはシンプルだ!!!!!

それなら、もうお笑いなんてシンプルなもんだ。自分自身が面白いと思うネタを作る。どんな最強ネタもスベるのだから、お客さんに合わせる必要はない。あとは自分のネタを面白いと感じてもらうため、自分の知名度を上げるだけだ!!!!!

知名度を上げるだけだ!!!



知名度を上げるだけだ!!!!!!!!!!!!!!!
(大事なことは何回言っても良いですもんね)




ハイ!つーわけで、知名度しか勝たん!!!!!!!

むしろ知名度なしで笑いしてやろうなんて甘えである。
知名度を上げること。
そっちの方が社会や大衆に向き合う積極性が必要になるため、「あいつらは分かってねーよ」といったような逃げ道はない。
分かるようにやらなかったお前が悪いよと自分自身に返ってくる。
シビアな戦いだ。


ハイ!せーの……


知名度しか勝たん!!!!!!!



あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ




(完)




あとがき

令和ロマンの高比良くるま「漫才過剰考察」。その本の話をしようと思った。気が付くと二万字になっていた。アカン!爪から血を吹き出しながらデリートキーを連打オラオララッシュでしたハイありがとうございました。次回はくるまとノンスタ石田明の本とつき合わせて書くのも楽しそうありがとうございました。はい~

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