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覚悟するとは

普段のわたしは満員電車で少し
人とぶつかっただけでも、舌打ちしそうになったり
遅々として進まない物事に腹を立てる、短気な性格で、これではいかんなと思うことがある。
いわゆる世間でよく言われる人格者、人徳がある人物像とはかけ離れている。
しかし、そのままではうまくいかない事もある。
なぜなら、人は誰か、つまり他人と交わる事で社会の中で折り合いをつけて生きている。
家族、友人、学校、会社、ご近所、そしてSNSも
含まれる。

人格を磨きたい、選んだ一つの本

人格者とはどんなものか、著名人の中で人格者として優れていると言われてきた方の発言や行動、書籍などを知りたくなった。
そこでひとつ選んでみたのが、日本の名優と言われた故・高倉健さんのインタビューをまとめた
野地秩嘉著
『高倉健ラストインタヴューズ』
だった。
高倉健さんは初めから俳優を志していたわけではない、若さゆえの想いから人との出会いもあり、
東映のニューフェイスとして、俳優の道に入ったけれども、初めはうまくいかない事もあった事を
赤裸々に綴っている。
彼の死後、関係者による証言もまとめられているが高倉健さんはなぜスターになったのか、また
東映の任侠映画からやがて、フリーとなって
日本の名作に数多く出演する名優になり得たのか。

スターとしての存在感。そして覚悟

何作か高倉健さんと仕事をし、遺作となった『あなたへ』の監督であった降旗康男氏は振り返る。

俳優にとっては存在感は大切です。
そりゃ、なくてもやっている人はいます。
しかし、スターになるには容姿端麗なだけでは無理。共演者やスタッフが存在感を覚えるようでなくてはスターにはなれません。

そして、存在感は訓練で出てくるものではない。

どうでしょうね、覚悟かな。
ここでしか生きていくことができない、あるいは、ここでダメだったら、去らなければならない。そういう覚悟をしたとき、初めて存在感が出てくる。
(中略)
覚悟なしでもうまいとこまで行く人もいるとは思うんですけど、でも、しょせん、そこまででしょうね。俳優に限らず、どんな世界でも覚悟のある人とない人では、仕事の質が違うんじゃないでしょうか。
引用:野地秩嘉著
『高倉健ラストインタヴューズ』より

わたしは著名人を目指しているわけではない、
しかし物事に取り組むとき、ただ何とか乗り切ればよいか、またはお給与のために嫌な事でも
何となくやっていこうか、と思ってきた節がある。
所詮こんなものでしょう、と妥協にも似た折り合いをつけて日々をダラダラ過ごして、わたし
こんなはずじゃなかったのになと
人生のメリハリを失ったかのような思いにかられることもしばしばあるが、覚悟をする、存在感がそれを醸成し、覚悟をする事で存在感も相まっていく。
あぁ、物事に対して自分の眼でみて取り組んでいるかなと思い知らされた。

気を使う、気を配る、気をもらう

生前高倉健さんが残した言葉に
相手から気をもらう、自分も気を使う…などと
気を大切にしている。というのがある。
相手の事に神経を尖らせて機嫌をとる、
という事では無さそうで、一緒に物事を遂行していく同志や仲間としての気の張り合いな事も指しているのだろうと思う。
元気の気、やる気の気、それを心と体に満たしていくための集中力と体力、そして胆力を
高倉健さんは自己の健康管理や読書、映画、音楽鑑賞からも得ているとあった。

さてさて
高倉健さんのような人格とはどんなものかと思い巡らせてきたが
わたし自身は何かに覚悟して生きているだろうか。
覚悟をするということは存在感が増すことにもなり、否が応でもそこには何かの責任と背負うものが
もれなく付いてくる事も分かってきた。
高倉健さんの場合は
映画を作るスタッフの生活や人生、映画そのものの評価、そして自分自身の生き様を背負うこと、覚悟することで存在感は増した。
そして死後10年以上経つ今でも
『幸福の黄色いハンカチ』『南極物語』『鉄道員 ぽっぽや』など語り継がれる作品がある。

わたしたちは決して著名ではない。
日々の生活を生きる一人間ではあるけれど
自分の身近なところで何かを果たすための覚悟をしているか、きっと覚悟をした先の景色を地獄のように想像してしまい見ずに来てしまったのではないかと思った。
人格を磨くことは一朝一夕には出来ないけれども
せめて自分の事は自分で、というなら
出来る目の前の事から、これは自分がやるべき事と
覚悟して取り組みたいものだ。



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