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不安定なわたしの幸せ

仕事で同じ職場のお姉さまたちとランチをするのが
ちょっとした至福の時である。
決して他人の陰口や悪口は言わない。
プライベートの話もお互いにそこまでじっくりと
語るわけではない。
少しオフィスから場面を変えて、屋外にある
ビルの半地下のようなテラスでランチをする
ただそれだけである。
ひとりランチの時もあるが、他愛もない話に
うなづき、時には笑い。限られた休憩時間を過ごす。
コスメやファッションの話をするわけでなく、思い出すと何、話したっけ?て時もある。
そして、休憩時間が終わりに近づくと
そそくさと職場に戻る。
そして午後の仕事の始まり。
ほんのわずかな時間、決してずっとではない
不安定な幸せ。

ささやかな、わが幸せ

ここで幸せとは?など、定義を語るつもりはない。
誰でも24時間は平等にあり、
決められた場所で活動しなくてはならない、時間を拘束されている人もいれば、丸々何もしなくてよい人も中にはいるかもしれない。

そんな中で仕事や家事、日常の出来事に忙殺されそうな時、ほんの一瞬の、隙間の時間に何人かで他愛もない会話をするランチや、例えば買ってまもないコスメを開封するなど…。
次にやらなければならない事はあるけども
不安定な幸せが、ささやかなリラックスタイムになったり、至福の瞬間であったりする。
誰かに分かってもらえなくてもいい、自分がその瞬間で幸せな気持ちになって、この後も仕事や家事、学校の事など、がんばろうかと思ったり、ちゃんと日常に軌道修正ができるなら
独りよがりの幸せな時間があっていいと思う。

幸せは続かないから、幸せを求める

至福の時は一瞬、それよりもこの後の仕事や家事を
始めるには、これまたなかなかカラダが重く感じる。
刹那な、夢のようなランチタイムやコスメを愛でる時間は、まるでうたかたの夢のよう。
幸せは続かないのである。
とはいえ悲観する事ではなく、また明日は来る。
そして日常の中で、比率はともかく、しんどいことと楽しいことは順繰りでくるため、
その不安定な幸せ…束の間の安らぎを求めている。

できない事があってもいいじゃない

時折、やりたい事とやらなければならない事、そしてやりたくない事の時間の使い方を
見直したくなる。
よく、人生の折り返しにはやりたくない事は
やらなくていいなど、人生の見直しをテーマにした
雑誌の特集や書籍を眼にする。
やりたくない事はやらなくていい。
ごもっとも。でも、なかなかそうはいかない。
やりたくない事の上にやりたい事が成り立つ事が
多くある。
しかも先ほどから書いている様に、
わたしの場合はやりたくない事は台形の様に大きく広く、その上にちょこんと先細った二等辺三角形のようにやりたい事は載っている。
え?みんなそうもしれない…。
でも、最近思う。
やりたい事は時間をかけてでも達成したいけれど、
できない事がいくつかあっても、卑下しなくてもいいじゃない、と。
スポーツができなくても、絵が描かなくても
音楽ができなくても、自由に海外行ける余裕がなくても、いいじゃない。って。
自分の身の回りで起きている事に
時に怒り、時に笑い泣き、不安定だけど
ささやかな事に喜びを感じる事も大事に思える。

さて、今日もランチのお誘いLINEが
届く。きのうはおしゃべりしすぎたから、
きょうは聴き役にまわりましょう。







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