ゲンジボタル飼育記録 | vol.6 |最終回 |ゾンビなほたちゃん
ゲンジボタルの寿命は2~3Wどいわれていて、実際はオスは3日、メスは6日だそうですが、ゲンジボタルのほたちゃんは14日目を迎えることができました。
13日目
この日も危篤状態。冷凍🍎の切り身の上で寝かせてあげたところ、息を吹き返してくれました。
さらに、夜に虫かごの周囲を散歩しているのを発見。いつになく速足で元気な感じがしました。
でも、すぐに力尽きて葉っぱの下に隠れてしまいました。葉っぱを一枝ずつはがしてほたちゃんをみつけ、今でしょと、リンゴの上にのせました。
そのまま何となく飛んでいけそうな雰囲気だったので、夜の庭に出ました。
どくだみエリアの上にリンゴをかざし、ほたちゃんを逃がしてみる。
余命少しであっても、自然に帰りたいのでは?と思ったからです。そして、万が一、飛び立てず落ちても、どくだみの葉の下のどこかに落ちるはずなので、何とかなるだろうと。
りんごカップを夜空にかざしてみました。
ところが、ほたちゃんはじ~っとしたまま飛び立ちません。多分、飛べなかったんでしょう。前日も同じことしてたことに気付く。
ほたちゃんはこの生活を悪くないと思ってくれていたんだと確信し、虫かごの葉っぱの下にそのままそっと戻しました。
「逃がしてあげるべく手放してみたんだけど、全然飛ばなくって。なつくものなんだね~ほたちゃん。」
「ほたちゃん??え?それでよかったん?本当は手放したくなかったんじゃないの??」
「え?ま、まぁな。」
ほたちゃんを逃がしてみたの母の感想が気にかかる。寝る前にふと気づく。
あれ?実は私もほたちゃんから逃れたかったのかな。というより、ほたちゃんが日々弱っていくのをみて、最期を看取る事に耐えきれなくなっていたのかもしれない。ほたちゃんを逃すという名目のもとに、実はほたちゃんから逃れたかった?嫌な飼い主、ほたちゃんごめん。
ところで、姥捨て山にはこういう意味がありました。
ほた捨て山
看取るのが辛いから捨てに行ったとさ。
だったら最初から飼うんじゃねぇ~ってなります。
ペットを飼わない人のよくあるあるでは、飼い主が先に死んじゃうと可哀そうだから。ペットを飼うと死ぬのを見るのが辛いからという人がいましたが、なるほどでした。最初は最後まで看取るつもりで寿命そのものが短いゲンジボタルを飼育しようと思いましたが、1匹であったこと、予想外に人間に近かったことなどから、超絶感情移入してしまいました、てか感情移入されるでしょう。
夜
とても蒸し暑かったので、玄関からマイルームへ虫かごを移動させました。何だろう、虫かごが軽く感じるのはもうすぐ死んでしまうって思ったからだろうか。。
自由律俳句
13日目のゲンジボタル 虫かご軽し
14日目の朝
寒い。暑いとすぐ熱中症になるので、ついつい寒くなってから消す習慣があるため、その日も寒さで目が醒めた。
ほたちゃん!?
朦朧とした意識が回復、同時に部屋の乾燥を喉のイガイガで気付く。
虫かごのほたちゃん。
りんごカップから落ちて仰向けに転がっている、パリパリになっている様子はまるでミイラでした。
「ほたちゃん!」
自由律俳句
拾い上げ リンゴの上に置くも 虫の息するゲンジボタル
昨日より小さくカラカラな様子。乾燥しちゃったかな。。
りんごにはピタっととまる、手足にフック機能、まだあるんだろう。
持ちあげてみる。
りんごに手足がくっついているのをはがす、あのピリッと言いそうな、手足をむりやりりんごから剥す感覚。
またリンゴの上に置いてみた。
直ぐに頭の重さでりんごの斜面を転がり落ちてしまいます。その度にそっと置き直す。
何となくフィットするエリアを発見、そこで休憩してもらおう。転がり落ちないかな、大丈夫そうだ。
「ほたちゃ~ん」山びこのように呼び掛けてあげると、ほたちゃんはいつも近くにきてくれました。ソプラニーノくらいの山びこ。最初の日に仏壇のチーンを鳴らしたら、ほたちゃんの触覚が動いて呼応したので、高い音が好きなのかもしれないと。
すると触覚や手足を動かして呼応してくれたほたちゃん。「聞こえてるよ~」て。
虫も呼び掛けによる何かしらインスピレーションで長寿に繋がると発見。
ほたちゃん?!
いよいよ動かなくなってしまいました。
月命日のお花の上に乗せてあげました。
動揺したのでしょうか、バリッと音がしませんが、バリッという感触がしました。多分、いつも通りに持ちあげたのですが、ほたちゃんが乾燥していたのでしょうか、動揺がそうさせたのでしょうか。。
「つぶれた?てないよね?」
割れていなかったことに安堵し、お花の上に乗せて遺影の撮影?
すると、ほたちゃんはほんの少し触覚と手足を動かしてくれたのです!
ほたちゃんの生命力に感謝。赤ちゃんの子育てってすごい大変な局面もあるんだろうな、改めてそう思う。
何とか生き延びてほしい。
でも、しばらくすると、お花の上で触覚が細くなっていき、数珠のように凸凹になるのに気付きました。
手足も胴体の中にしまい込んだのか、見えなくなって。干からびてしまうと、リンゴの上に乗せてあげました。
すると、少しだけ乾燥が止まる感じで全体的に大きくなっていました。後で知ったのですが、昆虫を標本にする際は、まずお湯につけてあげると固まった関節がやわらかくなるそうなんです。りんごもそういう役目をしていたのかもしれません。
何度も呼び掛けてみました。音沙汰無でした。でも、また寝ているふりをしているだけかもしれないと。
家事をしながらふと思いました。最後くらいは。。ひと段落したので、リンゴの上のほたちゃんを手の上にのせました。
明かりをさえぎるためにハンド鎌倉のようなものをつくって、そこで御臨終、お別れしようと思ったのです。
すると、な、なんとほたちゃんは手の中で立ち上がったのです!!立ち上がった時の手の感触は、昔カナブンが手の中でたちあがった時と同じ感覚、そこまでではありませんでしたが、ほたちゃんの意思みたいなのを感じとれる立ち上がり方でした。でも、それは一度だけ。力尽きグタッとなりました。きっと、飼い主に最後の力をふりしぼって何かを伝えてくれたのでしょう。
眠る様に動かなくなったほたちゃんをそっとお花の上にほたちゃんを乗せて、小さな仏壇にまつりました。ありがとう、ほたちゃん!!
この時の動画は出来ればUPしたいと思っています。ただ、アイフォンフォトの容量が満タンになり、さらに撮影し続けたので、パソコンに取り込めない状態になっている状況なのでどうなることやらです。。
このままでは乾燥パリパリで胴体や足が乾燥でバラバラになると思ったのと、土葬はせずに瓶の中で眠りについてほしいと思ったのとで特製の御棺を作ってみました。
小さなゼリーの器にフェンネルを、その上にほたちゃんを寝かせます。リードディフューザーを作った時のエタノールが余っていたので保存液に使いました。
網戸の網のほつれを縫い合わせていたところのほたちゃんの出現。そこから短い間でしたが、健気なほたちゃんによるホタルの一生でした。
てにおはっ