自己紹介〜30歳から始める自分探し〜
こんにちは、はじめまして。
東京都在住、shihoといいます。本年1月、ついに30歳になりました。
2016年にライター志望をした時に作り、そこから化石状態になっていたアカウントですが久しぶりに掘り起こしております。。。昔書いた記事はそのまま公開にしてあります。ちょっと恥ずかしい笑
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さて、突然ですが、わたくし、仕事ライフにとても疲弊しております。
とにかく「やらなくちゃ・やるべき精神」で無理をする→限界が来る、を繰り返した結果、とうとう気づいてしまったのです。
疲弊してるのは「自分軸」を無視して生きているからじゃね??
去年の最繁忙期である12月。
とうとう限界に達したのか、もう疲弊するのはやめよう(スンッ…)と冷静になったところで、「自分軸取り戻そうプロジェクト」を脳内で立ち上げました。笑
そこで、このnoteでは自分軸取り戻そうプロジェクトの記録を残しながら、
自分の気づき、考えのアウトプットをしていきたいと思います。
そして誰かにとってほんの少しでも共感・閃き・背中押しになったら嬉しーです。
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■経歴
せっかくなので私自身がどう生きてきたか振り返ってみましょう。
・誕生〜小学生
1990年1月、千葉県生まれ千葉県育ち。一人っ子。
将来の夢はマンガ家。CD売上全盛期時代と共に成長し音楽が好き。
とにかく我儘であったり、教育にお金をかけてもらってはいけない、家庭の中では常に雰囲気を読まねば…と、子供ながらに一人っ子コンプレックスを着実に成長させる。
・中学生
自己肯定感が低く、垢抜けない方に属する中学生だった。
オタクにも一般層にもはまりきらない微妙な立ち位置。
一人っ子コンプレックス、高卒後は就職という身内文化から、商業高校を志望校とした。
・高校生
中学生の頃より行動範囲が少しだけ広がって、楽しかった。
とある携帯乙女ゲームにハマり、携帯で二次創作小説サイトを開いた。
就職しなければと思い、高校の求人票を漁る。「手取り15万以下、年休100日」のデフォルトに絶望したまま何社か面接を受けるが、当然落ちる。無職確定。
・無職〜パートタイマー時代(18歳〜19歳)
皆が就職や進学でウキウキする頃、私は無職確定で絶望する。
日中暇であるおかげで、ちょうど開催していたワールド・ベースボール・クラシック2009をリアルタイムで観て感動する。
その感動の勢いで、勇気を出して地元の小規模・産直系スーパーにパートタイマーとして雇われる。少数体制、周りは自分の親よりも年上ばかりで、心身ともに鍛え上げられた。
最初はレタスとキャベツの区別もつかない始末。
・初就職〜会社員時代(19歳〜21歳)
地元企業にて念願の正社員・事務職就業。
60名応募者の中から、若さとやる気アピールで1名枠採用に入り込む。
が、ここで事務仕事のポンコツぶりが発覚。中途採用のため、すぐに即戦力にならなくてはいけない中、最初の半年は非常にひどい仕事ぶりであった。が、最後はそれなりに頼りにしてもらえるようになる。
このとき、手取り14万以下で一人暮らしを始める。
地元ならではの閉塞感と、要求される業務量の多さに疲弊し、退職。
・無職時代(21歳〜22歳)
退職して3日後には一人でハワイに行く。
その後、漠然と「仕事=事務職正社員」の考えしか無かったため、地元企業に応募をし続けるが、やはり自分の中ではしっくりいかない。当然落ちる。
とにかくお金に困り、初めて行政に相談をして家賃補助制度を利用した。
将来がとにかく不安すぎて、ひたすらスマホの麻雀アプリで現実逃避をしていた。
途中、単発のバイトも行うが、通算8ヶ月ほどの無職。
・派遣社員時代(22歳〜24歳)
とにかく働かねばと、派遣社員として就業。総務省地デジ事業に関するサポート業務。
仕事は丁寧に教えてもらえる、誰もが優しい、自社他社色々な人たちが協力している。これが社会であり会社か、とカルチャーショックを受ける。
一生懸命働いていれば評価もしてもらえる、同僚派遣スタッフとは友達になれる、この頃の楽しい経験が自信となった。
地元から少し東京に寄った場所に引っ越し、スポーツジム通いを始めたり、行動範囲が変わったり、今までの世界が少し広がった。
・会社員時代(24歳)
派遣業務のプロジェクト終了とともに、契約終了→IT企業に就職。
ところが、実際は他常駐先で仕事をして利益をもたらすスタイルが中心の会社で、やっていることは派遣社員と変わりがなかった。
研修期間は、社内で見よう見まねVBA、HTML、CSSに触れる。
並行して面接も受けるが、常駐先がなかなか見つからず肩身は狭くなる。
やっと見つかった常駐先は、大企業のPMO補佐。前任からの引き継ぎも一切ないまま、癖の強いボスの秘書業務を行ったが、1ヶ月でギブアップ。常駐先退場とともに自宅待機(無収入)となったため、研修期間中で退職。
(常駐先では結構詰められたが、後から聞くとボスは結構気に入ってくれていたようだった。)
・派遣社員時代(24〜26歳)
大手設計会社で、経理事務。
細かな計算は決して得意ではなかったが、基本経理知識と書類処理のスピード感は評価された。
その中でライター職に憧れ、ランサーズで何件か記事執筆を経験する。
翌年以降は人員が増え時間も余るようになる。チーム他メンバー同士いざこざにも嫌気が差し、契約終了を申し出る。
・〜現在(26歳〜30歳)
「ITで地域を元気にする」会社に派遣社員→契約社員として就業。
ECサイトに掲載する取扱品の調達役として、ステークホルダーとの調整や掲載内容の調整に目覚める。入場1ヶ月でチームリーダー就任。
その後、社内組織編成が変更されると同時に契約社員として直接雇用される。
調達・サポートセンター2部署のリーダーとなり、スタッフ育成・エスカレ対応・運用・業務推進を行う。
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…これ、明らかに
・将来選びがコンプレックス起因
・自信の無さを、狭い選択肢の中で払拭しようとしていた
・結果、「やらなくてはいけない」基準の行動に疲弊している
が原因だよ、、、ね、、、、
こんな状況をどうにかしたいこともあり、今はマーケティングやライティングを勉強したり、自分の文章を発信したり、得意や好きで道を選択していきたいなと考え中✏️
2021年1月よりSHElikesの講座も受講中、将来は好きなことや思ったこと考えたことを価値あるコンテンツとして発信していく人になりたいです。
よろしくお願いします。