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グローバルユース国連大使:カンボジア② ~学校訪問での発見~

 みなさんこんにちは。
今回は前の記事から引き続きカンボジア研修について書いていきたいと思います。
三日目は現地の学校を訪問し、カンボジア戦争博物館を訪れました。
プノンペンからシェムリアップに移動した日でもあり、長い間バスで移動しました。

カンボジアでの一日目と二日目の研修内容についてはこちらから↓

現地の学校訪問

 まず、現地の学校を訪問しました。学校と言っても日本とは違うところが多かったため、文化の違いを感じました。学校に入る前に、近くの川の色が濁っていることに驚きました。日本の川は完全に透き通っていなくても、だいたいきれいだと思います。しかし、カンボジアで私が見た川は台風のときのように茶色く濁っていて、日本との下水道設備の違いを感じました。
 学校についてからも、常に「!」という感じでした。まず、学校集会で集まってくれた生徒たちは、長袖でした。外は当然日本の真夏以上の暑さの中です。半袖で暑がっていた私には到底想像ができない光景でした。
 その後、授業している様子や、校舎の中を見せてくれました。校舎と言っても、日本のような二、三階建ての密閉された建物ではなく、一階建ての低い建物で、さらに外の空気も入ってきていたため、完全に密閉されていませんでした。そのため、校舎の中はどの部屋も少し蒸し暑かったです。しかし、授業を受けている生徒たちは日本と変わらず楽しそうで、先生も優しそうでした。
 しかし、それ以上に私にとって衝撃的だったのは、図書室が小さかったことです。私は読書が好きで、図書室は大きく、天井まである棚があり、それらに本がぎっしり詰まっているというイメージでいました。私がカンボジアで見たのは、胸まであるかぐらいの棚に、本が少しあるような感じでした。また、スペースも決して広いわけではなく、衝撃を受けました。日本の図書室は、すごく広く、贅沢だと思い知らされました。

カンボジア戦争博物館

 そして、学校をあとにし、カンボジア戦争博物館に行きました。博物館と言っても、大きな建物の中に展示品があって、手を触れてはいけないというものの反対を行っていて、野外に戦争で使われた戦車がヘリコプターがおいてあり、自由に触っても登っても良いとのことでした。日本と比べてすごく自由でした。
 この自由な博物館に驚いていた矢先、未だに地雷が埋められている場所にたどり着きました。カンボジアでは内戦中、地雷が多く利用されました。それらが未だに埋まっているところがあるそうです。この博物館に埋まっていたものは場所が分かっているため、ロープが張られていましたが、場所が特定されていないものも多く、今でも地雷の被害を年に数十人が受けているそうです。
 展示物に登ったりして良いと先ほど書きましたが、私は高いのがあまり得意ではないため、眺めて写真を撮るだけに留めました。それでもすごい迫力で、これが使われていた当時のことも想像しながら展示物を見ていました。小屋のような建物の中には、使われていた大小様々な銃が置かれていました。もちろん撃てませんが、思ったより大きく、これを持って銃を長時間打ち続けることは大変だったんだと今更ながら思いました。ちなみに銃は大きく当然重いため、持ち上げるだけでも一苦労でした。

発表明日!?

 バスに揺られ、ようやくホテルに到着したときにはもう疲れ果てていました。ああ、今夜はゆっくり休みたいと思いながらホテルの部屋で一休みし、事前に言われていた部屋に集まりました。グループワークをすると聞かされていましたが、そんな簡単なものではありませんでした。
 今年の国連大使メンバー全員集められ、告げられたのは死刑宣告も同然のことでした。なんと、明日の夕方に発表するプレゼンテーションを、今からグループで作れとのことです。プレゼンの内容もなかなか難しいもので、平和についてでした。私が悲鳴を上げたかったのはプレゼンではなく、作成期間の短さでした。明日の夕方発表、つまり実質この夜しか仕上げる時間はありません。ゆっくり休めないとため息をつきながら、カンボジアの大使と協力してプレゼンテーションを作りました。そして、なんとか夜ふかしを回避できました。盛りだくさんの一日でした。

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