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「自信」という鎧を背負って


 絶賛PMDD(月経前不快気分障害)中で、涙脆くなっている今日、久しぶりにnoteを書き出した。猛烈な疲労感と急降下していく情緒、生きている意味や自分の存在価値を考え出す時期が今月も来てしまった。人様に迷惑をかけないよう、この情緒不安定さを隠しながらこの時期を過ごすことに毎月疲弊している。ただ、自分の深層心理について向き合う大切な時間であることも事実だ。
 この時期になると決まって「私なんてどうせ。」という気持ちがムクムクと大きくなっていく。朝顔がツルを伸ばすくらいなら可愛いものだけれど、私の場合はジャックと豆の木レベルの速さでそのツルは伸びていくのだから困ったものだ。毎月、自分の自信の無さと戦っている。

 昔から自分の外見が大嫌いだった。つり目で鼻も低く唇は厚い、なんともいえないアンバランスさの顔は鏡を見る度に悲しい気持ちにさせた。街で声をかけられるのは隣にいる友人ばかりだったし、「綺麗なお姉ちゃんだね」と笑顔で褒めてくれるのは近所のお爺さんばかりだった。昔友だちに「お前の顔の分際で。」と言われたこともある。今思うとその人間性を疑うが、その頃の私はストレートに受け止め心を粉々にしていた。
 今では人それぞれの美しさを尊重していく時代に入ってきたが、私たちの生活にはナチュラルにルッキズム(外見至上主義)が浸透している。ブスに人権はないかのように扱われ、太っていれば痩せろと言われる。外見がタイプでなければ中身を知ってもらえる割合は驚くほど低くなる。「人は見た目が100パーセント」という漫画があったが、綺麗事を抜きにすれば人間の真理である。いくら努力したところで、生まれた時から美人のスタートラインに届かないこともざらである。なんとも世知辛い世の中だろうか、ブスは卑屈だと言われるが、こんな世の中で卑屈にならない方が奇跡だ。

 そんな世の中に可愛くない顔面で生ま落ちてきた私は常々「自信が欲しい」と思って生きてきた。自分を心から愛せるようになりたい、自己肯定感をあげたいと考えていた。

 自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である。

 大人になってからの自信の持ち方を知るわけもなく、いろいろなことに挑戦してきた。顔面ランクAになれぬなら、総合ランクAの人間になろうと考えていた。
 いろいろな検定の勉強をしたり、家事スキルをあげたり、視野を広げようと年間100冊以上の本を読んだ時もあった。一番嫌いなことをやってみようとハーフマラソンやロングライドといった持久力が必要な大会にも参加した。出来ることを増やすこと、できなかったことが出来るようになることが自信に直結すると信じて進んだ日々だったが、そういった努力はできない自分ともぶつかることの連続だった。自信をつけたいと始めたことが全て裏目に出てしまって苦しさに押し潰されそうだった。他人と自分を比べ、劣っている部分を見つけては悔しがって、努力が足りないと責め続けた。
 自己肯定感が人の基礎体力だとしたら、そういったプラスαのスキルは鎧だ。基礎体力のない状態で重い鎧を着た私は、身動きが取れずに息苦しさで死にそうな毎日を送ることになった。基礎体力をつけてこそ、鎧を着ても動き回れるし、重い剣も振れるようになる。自信がついたから自分を愛せるのではない、愛せるようになったから自信がつくのだ。その頃の私は順番をそっくり間違えていた。
 自己肯定感のスタートは「認めること」だ。できない自分、頑張れない自分を認めること、肩の力を抜いてまた走り出した自分を褒めてあげればいい。比較対象は他者ではなく自分自身でいい。そのことに気づいたのはここ数年である。
 性別問わず、好きなものを好きだと言えばいいし着たい服を着ればいい、太っていても痩せていても水着を着ればいい。美の基準を外見だけでしか見れない人ほど浅はかな者はない。何かを振り切った人、戦ってきた目、乗り越えた顔つき、その人のバックグラウンドを想像すること、それを理解できるようになったことがこの数年で手に入れた私の最大のスキルであり、財産である。

 自己肯定感の大半が幼少期の親の関わり方が関係していると言われている。愛情不足は子どもの自尊心を傷つけ自己肯定感を下げると言われているが、それだけが原因ではない、他者との関わりの中でいくらでも上がったり下がったりするものである。いつでも自分の味方は自分であること、自分の機嫌を他人にとってもらわないこと、求めないこと、それを意識するだけでも日常の幸福度は上がっていく。

 重い鎧を着て身動きが取れなかった私も一歩二歩と足を進めていくうちに最強の防具を着て最強の武器を持って走れるほどには成長したように思う。今となっては、この鎧と武器は自分を守るため以上に大切な人を守るために活用できているはずだ。
 自信のない自分も月に一度や二度現れるが、こういう日もあるよね。と小休憩を挟んでまた明日から歩んで行けたらいい。



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