面倒だからこそ面白い
先日、友人から「なぜ多くの人は結婚したがるの?金銭面で楽になる以外メリットがないよね?なぜあなたは結婚したの?」という疑問を投げかけられた。
私は五年前に離婚をして昨年再婚をした。バツイチ子持ちからのステップファミリーだ。五年前離婚を決意した時、もう二度と結婚などするものか。と思ったし、当時精神的にも肉体的にもこれでもかというほど疲弊していた。それでも五年の時間を経てまた、結婚を決意した。アラサーで小学生の子どもが二人いて、好きという気持ちだけではやっていけないということを痛いほど知っている私がなぜ結婚したのだろう。
昭和の時代までは「男は仕事、女は家庭」という役割分担が当たり前だったからこそ、結婚するメリットは確かにあったように思う。しかし、平成から令和にかけて女性の社会進出が進み男性と同様に働き、稼ぎ、自立していく時代に変わって行った。性別関係なく働き、家事のスキルも必要とされる時代になっている。
2017年、かの有名な結婚雑誌「ゼクシィ」はキャッチコピーに「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」という一文が使われた。当時このコピーを見た私は、本当に時代は変わったのだと強く思った覚えがある。そうなのだ、結婚して、夫を支え、子供を産み育てることが女の幸せという時代は終わった。
結婚してもしなくても、子どもができようとできまいと、自分で自分を幸せにできる時代なのだ。昔の固定概念はまだ根強く残っているが、今は沢山の選択と決断ができる時代になった。
結婚して心から幸せだと言える夫婦はいったい日本ではどのくらいの割合なのだろうか。メリットデメリットは各家庭によって違うだろう。Google画面で「旦那」と検索すると検索候補には「嫌い」「デスノート」「むかつく」が出てくるし、「妻」と検索すると「話しかけてこなくなった」「イライラ」と出てくるところをみると世の妻たちは相当イライラしているように思う。
私自身は女なのでどうしても女性側の意見に共感してしまうし、男性は男性で苦悩を抱えていたとしても、それは想像でしかない。ただ一つ言えることは家庭の雰囲気のキーを握るのは大抵が妻である。妻の満足度が高い家庭は夫婦円満であるところが多いし、育児に関してもやはり母親の心の余裕が軸になってくる。産後父親が一番にするべきことは、おむつ替えでも、寝かしつけでもなく母親のケアだと私は思っている。不安だったり、疲れ果てていることに耳を傾け、労って、できることなら「君は本当によく頑張ってくれている。ありがとう。」と毎日寝る前に呪文のように言ってほしい。何と言ってもこれは、たった一言お金も掛からず時間も掛からない。最高にコスパがいい。それでいてオムツ替えも、寝かしつけも、完母(完全母乳)でなかったらミルクも分担してもらえたらいうことなしである。「この人と結婚して良かった。」と産後に思えるか思えないかは、その後の結婚生活の雲行きを左右する。気持ちの変化に気付いてくれている、分かってくれている、ちゃんと見てくれているというのが一番の安心感を与えてくれる。
赤の他人が家族になるということは簡単な言葉でまとめてしまえばとても面倒なことだ。幸せ満点な時間はあっという間に通りすぎていくし、一緒に暮らしていく中で本当に様々な問題にぶち当たる。何も不満のない家庭が存在するとしたらそれは限りなく奇跡に近い。これはいくら夫婦であろうと「自分」と「他人」とでは価値観も経験も感受性も全く別物であるから、すれ違いも摩擦も必ず発生する。そこを互いが同じ分量だけ歩み寄り、理解し、消化していく必要がある。その作業がもはや面倒なのだ。自分の意思だけで出来ていたことが出来なくなる。ご飯や洗濯物の量は一人分が二人分になる。喧嘩もすることもあるかもしれない。文字にしただけで既に面倒である。
でもだからこそ良いのだ。面倒だから良いのだ。人間生まれ落ちるのがスタートなら死ぬことがゴールであとはただの過程に過ぎず面倒臭いと思うことを避けている人生なんて私はつまらない。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないが、その時苦しくても喉元を通りすぎるときは必ず訪れる。その時あの時苦しかったよねと笑えているはずなのだ。
夫の顔を見たくない日もあれば、隣で眠る横顔をみて愛おしさがこみ上げてくる日もある。なぜ子どもはこういう行動をとったのかとその物事の本質を探すために考え込んだり、自分自身が疲弊してくればこの感情は何故生まれたのか?何が原因なのか、改善策はあるのだろうかと、とことん考える。この感情の起伏はやはり自分自身でも面倒だがそういう時間の積み重ねが濃い経験を積む。私は元々面倒な道(考え込む性)を通りたがる人間なので、お金持ちならぬ経験持ちである。それは楽な道では全くないし、苦しいことの方が多いけれど、そういう経験のひとつひとつが私の大きな財産になっている。
愛しい子どもと愛する夫のいる生活は幸せだけれど、小さい「面倒」が沢山詰まっている。その面倒を楽しみながら生きていくこと、問題が起きたら沢山考え答えを見つけ話し合い、解決すること。私の人生は私だけのもので、舵をとるのはいつだって自分自身である。あと何十年先まで続くかわからない人生を色濃くしていくために私は結婚した。
私の夫は私とは正反対で単純で少年のような人だ。思っていることは全て顔に出てしまうし、考えるのが面倒になると寝て忘れるタイプである。そこもまた私が惹かれた部分の一つでもある。
考え悩み自分と向き合い、自分とは全く違う考え方の相手にそれを伝える。相手の気持ちも聞いて「そういう方向で考えることもできるのね」と受け入れる、それでまた小さく自分の世界は広がっていく。私の小さな世界を広げてくれるのはいつだって夫と子どもたちなのだ。密に接していなければ出来ない成長を何十年経っても私はしていたい。そうしたらきっと「なかなかに幸せな人生だった。」とゴールテープを切って逝けるだろう。
叶うことなら夫に手を握ってもらいながらお先に失礼したい。