ババ

婆ちゃんが風邪をひいた日のはなし


 御年84歳。透析歴30年。
 年号が昭和から平成に変わった年、慢性腎不全になり週3日の透析生活をスタートした婆ちゃん。平成が終わる2018年ついに透析30年を迎えた。
 透析患者は1年に4歳年を取るといわれているほど身体への負担が大きく、家族の誰もがこの年齢になるまで生きているなんて予想もしていなかった。

 お医者さんに腸に影があるからとったほうがいいといわれた時も「せっかく身体にできたものをとるなんて勿体ない」と拒むファンキーさをもっている。(ただ手術が怖いから)

 今の数値だとトマト1個、バナナ1個食べただけでも命とりと言われた次の日トマトとバナナを食べたけど死ななかったと報告してきたり、何かと家族を心配させるお茶目(?)さも兼ね備えている。

 言葉遣いもよくないし、やさしいかと言われると首をかしげたくなるけれど、言ってほしくない言葉は絶対言わなくて、お茶目で、食いしん坊で、お花が大好きで、辛抱強く、働き者の婆ちゃん。

 私はそんな婆ちゃんが小さいころから大好きだった。

 2年前肺炎で入院してからというもの足腰がめっきり弱くなって車椅子が必需品になった。元々は亡くなった祖父と暮らしていた家の近くに叔母夫婦が住んでいてそこで生活をしていたが、段差も多く、叔母との関係もあまり良くなかった為、これを機に私と一緒に暮らさない?と提案したのが始まりだった。

  歳も歳で、心臓も肥大していて、肺も弱まり、血圧が下がって透析からなかなか帰れない日も最近ではよくある。


 そんな婆ちゃんが風邪を引いた。35度が平熱の婆ちゃんが38度の熱をだし、どんな時でも食欲旺盛な婆ちゃんがご飯を要らないと食べてくれなくなり、水分も吐いてしまい、「一人じゃなにもできないんだなあ、汚してごめんな、、」と掠れた声で私に謝った。

 この年齢の風邪は命に関わる。食事をとれなければ目に見えて弱っていくし、力もでず起き上がることもままならない。風邪ひとつでこんなにも弱ってしまう姿を見ると、一年後、二年後はもう傍には居れないのかもしれないと思わざるを得ない。

 母と私は毎日今日が最後かもしれないと思いながら過ごすようになった。
 「おやすみ」といえるのは今日が最後かもしれない。ここに連れてきてあげられるのは今日が最後かもしれない。こうして笑って話せるのは今日が最後かもしれない。
 それは、婆ちゃん自身のために毎日できる限りのことをしてあげたいと思う気持ちと、もしもの時私自身が「もっとああしておけば良かった」と後悔したくないという気持ちがあるからだ。

 生き物はいつか必ず死ぬ。犬も猫も例外なく人間も。けれどそれを私たちは忘れてしまう。明日があることが当たり前だと思い込んでしまう。その別れはきっとまだ遠い未来のことだと思ってしまう生き物だ。


 いつぞや読んだ本に「死が悲しいことだというのなら私たちは生まれたときから悲しみに向かって生きていることになるのだから。だから決して悲しいことではない。」というような一文があった。まさにその通りだと思う。
 死は絶望的に悲しいことではない。けれど、大切な人であればあるほどに痛く、辛いことであることに間違いはない。
 もし、婆ちゃんが居なくなってしまったらと考えただけでも自然に涙が溢れるほど、寂しくて、悲しい。


 だけど、私は今凄く幸せに思う。ある日心の準備もできないまま、姿形がなくなってしまうよりも、1日1日今日が最後かもしれないと思いながら過ごせること、ありがとうを惜しみなく伝えられること、手を握ってまた明日ねと声を掛けられること。そういう時間を私と母に与えてくれたことをとてもとても幸せに、そして有難く思う。
 そんなに多くはない残された時間を少しでも幸せでいて欲しい。もし別れの時がきても笑って「ありがとう、お疲れ様、ずっとずっと頑張ってたもんね。」と言ってあげたい。


だけど、願わくば、明日も明後日も おはよう と私は言いたい。



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