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賢い旅人は神様に憧れない

背中に特大サイズのバックパックを背負い、長旅の疲れを滲ませつつも、大人の社交に必要とされる最低限の笑顔をたたえて現れる外国人宿泊客。彼らを迎え入れる私たちの第一声は”Good morning, sir”でも、”Welcome”でもない、いたってシンプルな一言、”Hi” だ。

するとお客の方もやはりHiと答え、それから、今日の調子はどう? と形式的に前置きして続ける。
「まだチェックインにはかなり早い時間だってわかってるんだけど、荷物だけ預かってもらえたりする?」
すると私たちは、もちろん、とフロントデスクの内側から近くの棚を指差し、「あそこ。あそこに置いていいよ」と伝える。ゲストはオーケー、サンキュー、ときにパーフェクト、などと言いながら笑顔を返し、自らいそいそと荷物を運ぶ。

ホステスじゃないホステル

今年私は、都内のとあるホステルでアルバイトを始めた。

「最近ホステルで働いてるんですよ」と、よく行くバーのマスターに話すと、それから次に私がその店を訪れるまで、マスターはずっと私がホステスを始めたと思っていたらしい。

「もしもし、◯◯ホステルの者ですが」
たまに従業員としてよそに電話をかけるとき、受話器の向こうの人がお年寄りだったりすると、やっぱり「……ホステス? ホステスですか?」と聞き返される。そこで何度か「ホステル、ル、です」と繰り返したりもするのだが、通じない。通じなくても特に大きな問題がなさそうなときには簡単に「そうです」で済ませたりもする。

日本ではあまり知られていないが、ホステルとはドミトリー形式の宿泊施設のことをいう。一般的にドミトリーゾーンには複数の二段ベッドが置いてあり、施設によってはカーテン等で最低限のプライバシーが守られていたりする。当然、ベッドには鍵もかからないし、いびきも話し声も、匂いまで筒抜け。シャワーやトイレは共有で、その分宿泊費が格段に安いというのが特徴だ。

パンデミックが終息して以降、すっかり安い国になったと言われる日本には、日々たくさんの外国人観光客がやってくる。テレビでは彼らの豪遊や爆買いの様子がしきりに流れるものの、私の働くホステルで迎えるゲストは必ずしもそんなお金持ちばかりとは限らない。むしろ初めての海外旅行だという大学生や、仕事をやめたり、長期休暇をとったタイミングで数ヶ月から1年、あるいはそれよりもっと長い時間、世界を放浪しているバックパッカーなど、費用を抑えながら旅をしたい人に利用されることが多い。有名な観光地に近い土地柄、私のバイト先ではゲストの9割が外国人だ。

さよならインターネット

これまで接客業に就いた経験はなかった。私の職歴を簡単に振り返ってみると、高校を卒業してすぐ、ファミリーレストランの厨房で3ヶ月ほど、サラダを作るアルバイトをした。それから結婚して出産したのでしばらくの間専業主婦となり、しかし離婚をするということになって慌てて職探しをして、小さな出版社で広報の職に就いた。その後、PR会社やIT企業で働いたりもしたが、その間に書いていたブログが幸運にもヒットして、ここ数年はエッセイの執筆と、読者を中心としたコミュニティ運営とで生計を立てていた。

実のところこのファミレスでのアルバイト以外、結婚も、友達づくりも、就職も、これまでの人生、ほぼすべてのきっかけはインターネットにあった。インターネットで知って、知られて、インターネットで連絡をもらい、インターネットを使う仕事に就いた。文章を書くようになってからもやはりインターネットで発表し、インターネットで連絡をもらい、たまに本を出したりもしつつ、だいたいはインターネットを中心に書いた。

ところが何年か前から、そんなインターネットが無性に苦しく感じられ始めた。原因はよくわからなかったが、色々とあたりをつけてみては、それらを解消する方法をもまたインターネットで調べた。インターネットにはあらゆるシーンにおけるあらゆる教訓が落ちている。こうすればうまくいく。こうすれば人生が輝く。こうすればお金を稼げる。こうすれば愛される。誰にでもすぐに実践できる歯切れのいいノウハウそういうものを読んだりもしてみたものの、苦しさは一向に消えなかった。むしろ読めば読むほど、手触りのある人間が自分からどんどん遠のくような気がして、寂しく、怖くなった。特に私は人間関係についての文章を書くことが多かったので、手の届く場所に人の気配を感じられなくなると、書く作業もめっきりうまくいかなくなった。

不可解な履歴書と面接

しばらくの間どうしたものかと考え続けていたけれど、当然ながら仕事がままならないと、ただ貯金ばかりが目減りしていく。いい加減、稼ぐことを考えようと今年、一念発起してアルバイトを決意。どうせやるなら全然知らない世界を垣間見てみたい、日常から遠ければ遠いほどいい、いっそのこと、長く仕事にしてきた日本語からも離れてみるか、と、それでホステルを思いついた。調べてみると、運良く通勤圏内に一軒、スタッフ募集中のホステルを見つけた。すぐに履歴書を送った。

伝手も何もない場所に身一つ乗り込んでいく、考えてみればそんなことを、もうずっとやっていなかった。「高等学校卒業」からの謎の空白期間。30歳を過ぎて突然始まり、それから脈絡なく細切れに連なる職歴。改めて文字にすると不可解な点ばかりの私の履歴書は、私をまったく知らない人に、一体どう受け止められるんだろう。一か八かだ。どんな取材よりも緊張して臨んだオンライン面接ではしかし、意外にも謎の経歴について突っ込まれることは一切なく、代わりに「好きな食べ物について英語で話してください」という抜き打ち英語力テストが出題された。私は語彙の限りを尽くして五島うどんについて熱弁を振るい、結果、合格。晴れて4月にホステルスタッフとしてデビューしたのだった。

体にはこたえるが元気になる仕事

そんなこんなで巡り合った職場で現在、私が担当している業務はというと、チェックインとチェックアウト対応、メールでの問い合わせ対応、フロア清掃、カフェバー営業など、ホステルを稼働させるのに必要な一通りである。最たる重労働は間違いなくベッドメイキングだ。マットレスのシーツ、掛け布団カバー、枕カバーを外して、新しいものに付け替えるという自分の家でだって面倒な作業を、多い日には20台以上こなす。特に二段ベッドの上段では中腰での作業を余儀なくされ、いつの間にか四十代に突入した体には正直かなりこたえる。

にもかかわらず、ここでの仕事を始めてから約八カ月、私は自分でも驚くほど、めきめきと元気になった。

同僚たちの大半は20代前半で、外国にルーツがあるか、外国で暮らした経験がある。彼らの体のあちこちにはタトゥーが入っていて、夏場、彼らの服の布面積は信じられないほど小さかった。調子がいいと朝から共有フロアに大音量でテクノを流し、ときには踊りながら接客する。何かあるたびに「パーティしよう!」と言い、何もなくても「パーティしよう!」と言う。実際、しょっちゅうパーティをする。パーティでは、誰よりも先にスタッフが楽しむ。そこに、いろんな国からやってきた旅人が一人、また一人と集まってくる。そのたびにいろんな国の言葉で乾杯して、踊る。

ホステルにやってくる決して少なくないゲストが、私たちに名前を尋ねる。顔を合わせるたびにお互いの下の名前を呼び合い、元気? 今日はどこに行ったの? 何をしたの? と立ち話をする。あなたはどこからきたの? 東京には長く住んでるの? どうしてこの仕事をしてるの? 私自身のことについて聞かれることも少なくない。中にはInstagramのアカウントを交換して連絡をとり続けるゲストもいるし、一度去っても、ここが気に入ったからと再びやってくるゲストもいる。けれど大半のゲストとは、その時別れてしまえば二度と会うことはない。もしばったり出会うことがあっても気がつかないかもしれない。それでも、彼らはチェックアウトの日「君達は素晴らしいよ」「ありがとう、最高のステイだったよ」「良い一日を」と言い残し、二度と会わないであろう私たちを、ちょっとずつ幸せにして去っていく。

人間と人間が出会うホステル

ここで働き出す前、新しい仕事に就くことは、それまでの自分とは全く別の、新しい仮面を身につけること、別人に化けることだと思っていた。ところがいざ働いてみると、少なくともここで起きることは、予想とは随分違っていた。私たちは、働きながら常に自分という一人の人間でいる。そうあり続ける方法を、私よりうんと若い同僚たちが教えてくれた。そして同じように私たちがもてなすゲストもまた、私たちの前で常に人間でいる。お客様ではあっても、決して神様ではない。彼ら自身が、そうなろうとはしない。旅に出る理由を見失うことのない賢い旅人ほど、神様なんて寂しい身分に憧れたりしない。


来月にはジャズ評論家、柳樂光隆さんのライター講座にゲスト講師として登壇する仕事を随分前から受けていて、だから本当ならば今頃はもう少し文筆業を再開させ、「物書きです」と名乗れる程度になっているはずだった。ところが計画通りには進まず、私の2024年は総じて「ホステルスタッフ(※バイト)です」と言うよりほかない一年だった。それでも今年のこの大きな寄り道は、これから先も何かしらを書いていく上で、間違いなく必要なものだったと思う。ホステルには私の知らなかった出会い方、働き方、旅の仕方を知っている人たちがいる。手を伸ばして、触れて、確かめてみたいと思える世界がある限り、書き続けることができる。



★2025年1月から定期購読マガジンを始めます。ホステルでのこと、もぐら会のこと、最近の生活のことなど、月に4回くらいお届けします。


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