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修羅の国からやってきたアメリカ人を驚かせた、日本のある場所

トミーがはじめてホステルにやってきたのは2024年の夏の終わり頃だった。

レセプションで一通りチェックインの手続きを済ませると、彼は私に名前を聞いた。スタッフである私たちが外国人ゲストに名前を聞かれるのは、実はそんなに珍しいことじゃない。にこやかな挨拶から、どこからきたの? 東京で何をするの? なんて自然に脱線して、それから名前を尋ね合う。こういうのは、わりとよくある流れである。ところがトミーの場合、それとはちょっと違っていた。私の館内説明を殊勝な面持ちでうん、うんと大人しく聞いて、終わったと同時に「…と、ところで名前は?」と、日本語にするとまさにこんな調子で、唐突に尋ねるのだった。

(私、何かやらかしたかな)と一瞬、脳裏に不安がよぎるほどで、だからトミーの初登場は印象に残った。のちのネタバラシによると彼は、ホステルで最初に話した人に必ず名前を聞く、と飛行機の中で決めていたらしい。そうでもしなければ内気な自分は孤独に誰とも会話を交わすことなく、日本での数ヶ月を終えてしまう。だから勇気を出そう、と。長身で金髪の、シュッとしたアメリカ人。日本人が想像するいかにも西洋な風貌ながら、実はシャイで、たまの奮起は不器用。妙に私たちに親近感のあるメンタリティの持ち主、それがトミーだった。

カリフォルニアからやってきたメキシコ系アメリカ人のトミー。本業は写真家。それでいて文章も書くし、自費出版で写真と文章の本を作っている。偶然にも私も本を書く仕事をしていたので、私たちはすぐに意気投合し、出勤するたびに話し込む友人になった。

仕事のほかにも、私たちにはいくつかの共通点があった。そのうちの一つはお互いの故郷についてである。福岡県、またの名を「修羅の国」で生まれ育った私だが、トミーの故郷であるカリフォルニアの一部地域もまた、かなりの修羅の国だという(ドラッグ依存や路上生活者の問題が深刻なあちらと福岡と、比べ物にならないだろうと言われるかもしれないが、こちらにだってロケットランチャーが落ちてる)。

彼はどんな日本語よりも先に、私の教えた「シュラノクニ」を正確な発音で習得し、私は私でwild wild westというスラングを彼から教わった。開拓時代を経た今なお続く現在の西部無法地帯を、あの有名な映画のタイトルからとって、こんなふうに呼ぶらしい。

ある朝トミーがいつものように、ドミトリーエリアから私たちスタッフのいるフロントデスクにやってきた。Good morning. How’s going?  お決まりの挨拶も早々にその日のトミーは、もうどうしても話したくて仕方がないという様子で、目を輝かせながら切り出した。

「実は昨日、すごい体験をしてきたんだ」

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