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【回想】縁もゆかりも無いけれど


名古屋グランパスが好きです

XだったりMisskeyだったりでわたしを知ってくださっている方にとっては、今更言及することでもないかもしれませんが、サッカー観戦を長いこと趣味のひとつに数えています。

2012年頃からちょこちょこと行くようになったので、もう12年(13年目)ですかね。時の流れは早い……というか干支一回りじゃん。
と言いつつ、途中大きめのブランクを挟んでいるので12年丸々サッカー観戦していたかというとそういう訳でもありません。
というかそもそも学生だったのでそんな簡単に行ける訳もなく……。
なので、長いこと、ただ情報を追うだけみたいな推し方ではあったものの、これまたひょんなことからファンになった名古屋グランパスを、この12年間応援し続けてきました。

その12年を、振り返ってみたいと思いました 

先日、ありがたいことに『グラぽ』という、名古屋グランパスのファンの方々が有志で記事を書かれているサイトに、こんなコラムを書かせていただきました。

2021年のルヴァン杯初戴冠の時のことを綴らせていただいたこの記事は、ありがたいことにたくさんの方にお読みいただいたようで、たくさんのいいねと感想をいただきました。
この場を借りて御礼を申し上げます。

このコラムを書いた後、何となくずっと恥ずかしいやら何やらで、あまり語ってこなかったグランパスとの出会いの話を、どこかに改めて書いてみたいなという欲が強くなりまして。
この記事で、名古屋グランパスとわたしの出会いを、ゆっくりと回想してみたいと思っています。

少しだけ、ルヴァンカップを取ったことにまだ浮かれている、いちファンの回想にお付き合いいただけましたら幸いです。
(※本文中の選手名は一律、敬称略で揃えています)


サッカーなんて全然興味なかった

 別に隠している訳でもないからオープンに話してしまおうと思うけれども、生まれた時から手足にまひがある。
よって、わたしは歩くことが出来ない。

当然移動にも時間がかかるので、休み時間はもっぱら自由帳にお絵描きをして遊んでいるような、そんな子どもだった。
だから、小学校のわたしにとって、体育の授業は楽しくないものだった。
毎年の運動会だって、どうせ出来ないことを頑張ってやらされるくらいならいっそ帰らせてくれよと思っていたのは、今でもよく思い出せる。

だからこそ、スポーツとかそういうものは、自分からはすごく縁遠いものだという認識でいた。
唯一、小学生の頃にチェアスキー(正確にはバイスキーと言って、チェアスキーにスキー板が2枚ついたもの)に触れたことがあって、それは楽しかったけれど、基本的にはやはり縁遠かったように思う。

やがて学年が上がって、周りがより野球やサッカーの話題で盛りあがるようになっても、わたしは全く興味を持てなかった。

 一方で、父がずっとサッカーも野球も好きな人なので、「そうだ!! いけ!! よーし!!」
などと声援を送っていることも珍しくなかった。

(今はわからなくてもそのうち楽しさがわかるようになるんだろうか……)
ある時、母が「あんたも男の子だし、いつかはサッカーとか好きになったら、父と一緒に見に行ったりできるのにね」と言ったのを思い返しながら、そう思ったのをよく覚えている。

いまや父と同じく大声で、父とともにテレビに向かいながら声援を送るようになったし、なんだったら何度か代表戦の観戦にも一緒に出かけた
でも、本当に興味がなかった頃のわたしが、今こうしてグランパスや代表を応援しているわたしを見たら、きっと父とそっくりだと笑うかもしれない。

転機は突然に

そんなわたしとサッカーとの邂逅は、2010年のこと。

ちなみに、ここでグランパスの話を挟むと、
2010年にドラガン・ストイコビッチ監督(当時)率いるチームでリーグ初優勝を飾っている。
(※ストイコビッチ監督は1994年から現役を引退する2001年までの7年間名古屋に在籍した、クラブOBにして世界的名手。 選手時代の愛称は『ピクシー』)


ではそれでグランパスを知り、グランパスのサポーターになったのかと問われれば、それは‪✕‬。

まだまだわたしにとってJリーグは、サッカーは縁遠かった。

第一、ルールをきちんと知らなかった。
ボールを運んでゴールに入れれば1点である、ということは理解できても、ゴールキック、コーナーキック、フリーキックなどがあることを知らない。
さらに言えば、この頃のわたしにとってのサッカーは日本代表が全てで、Jリーグという存在は知っていても、どんなチームがあるかなんてまったく知らなかった。

いまでは全く考えられないことだけど、本当にこうだったのである。 

……そんな感じのわたしでもわかるほど、2010年は分かりやすく日本がサッカーで盛りあがっていたと思う。

2010年、南アフリカW杯。
転機が訪れたのはまさにその頃だった。

この大会で日本は大会ベスト16への進出を果たし、テレビでは見ない日がないほどワールドカップの映像が流れた。
まだあまり興味もなく、試合は見ていなかったわたしだったが、気づいた頃にはデンマーク戦の本田圭佑の無回転FKを、日本代表の青色のユニフォームを、なんとなくかっこいいなと思うようになっていた。

申し訳ないことにあまり細かく覚えていないんだけれど、このワールドカップがきっかけで、少しずつ、本田圭佑や川島永嗣など代表選手の名前を覚えていった記憶もある。

ウイイレでサッカーを知る

こうして少しだけサッカーに興味を持ったわたしは、せっかくなのでルールを覚えて、本格的にサッカーを楽しめるようになりたいと思った。

そこで役立ったのが、たまたまうちにあった古いウイイレ
このころテレビゲームの類で友達と遊ぶことが増えたわたしにとって、遊びながらルールを学べるのは絶好の機会。

結果として、サッカーの基本的なルールをウイイレから学ぶこととなった新米サッカーファンがここに誕生した。

ありがとうコナミさん。あのシリーズのおかげで、わたしはサッカー観戦を趣味にできました。


グランパスとの出会い

さあようやく本題である。長々とすみませんでした。

ということで全くの偶然からウイイレと出会い、遊びながら、とりあえずルールを何となく覚えたあとで、わたしはこう思った。

『ルールも覚えたことだし、いよいよサッカーチームのファンになりたい』
 
Jリーグという存在は名前だけ知っていたし、この当時通っていた小学校の同じクラスに、Jクラブのファンがふたりいるのも知っていた。
その子たちと同じように、わたしもどこかのチームを好きになってみたいな、と思ったのである。

こうして、たまたま手に入ったこれもまた古いデータのJリーグ版ウイイレでチームを覚えて、自分の使用するチームとしてプレイしてみることにした。

とはいえ、ついこの間まで本当に興味がなく、やっと選手の名前を知った程度の知識しかないわたしには、どの選手がすごくて、有名なのかが全く分からなかった。
「知ってる選手が沢山いるチームがいいな~」
などと呑気に構えていたものの、そもそもその知識量が少ないものだからなかなか無謀である。不覚。

……しかし、奇跡が起きたのはそのすぐあと、チームごとのプレイヤーリストをバーッと流し見していたその時だった。

「ほ、本田圭佑!!!!」

そう、ワールドカップで無回転FKを決めたあの本田がいたのである。

正真正銘、あの本田圭佑。

さらにはルールを覚えたウイイレに代表としていたGK楢崎、さらになんと川島永嗣の名も発見。

その3人は、まだまだ知識がなく、まだまだ選手についていまいちピンと来ていなかったわたしでも、間違いなく知っている選手だった。

「よし!!このチームでやる!!」

そのチームこそが、名古屋グランパス。
わたしがグランパスのサポーターとなるその1ページ目は、なんとも不思議な形で開幕を迎えた。

雨の降る国立でグランパスを初観戦

それから、親にねだってユニフォームを買ってもらい、何試合かアウェイでグランパスを見た。
特に2012年、雨の降る旧国立競技場で見た柏レイソルとの試合が、わたしにとってのグランパス初観戦だった、というのをよく覚えている。

ただし、雨に打たれながらの観戦だったので、もうとにかく寒くてしんどかった印象が強く、肝心の試合結果を覚えていなかったので調べてみた。
12年前の試合結果が、公式ですぐわかるのはこういうときありがたい。
(※これを読んで下さっている方の中には旧国立競技場を知らない方もいらっしゃると思うのですが、今の国立はスタンドにぐるりと屋根がありますが、旧国立にはスタンドの一部を除いて全体的に屋根がなかったのです……。 あの雨はつらかった……)

それによると試合結果はどうやら1-2で、
オーストラリア代表でもあったFWジョシュア・ケネディの得点と、オウンゴールによってグランパスが勝利をおさめたとのこと。

余談だが、ハマった頃のグランパスで好きな選手をあげるとすれば、まさにこの日のスタメンだった前線3人なので、12年前のわたしの推しは、どうやらこの試合で確定したようだ。
さらに言えば、永井も金崎も、その後の在籍期間は被らなかったものの、後年にグランパスの選手としてルヴァンカップを獲得したメンバーになったことを考えると、少し感慨深い気持ちになった。

それから

そうしてグランパスに出会ったわたし。
それからも継続してサッカー観戦へ出向けたらよかったのだが、やはりホームタウンでは無い遠方に住むわたしにはなかなか試合に行ける機会もなかった。
よって、テレビや新聞でいま何位だとか、試合結果の情報を追うだけという生活が続き、高校入学と同時に、時間がなくなってしまったことで、現地観戦からは完全に足が遠のいた。

永井謙佑のベルギーへの移籍(2013年)とか、レアンドロ・ドミンゲスの加入(2014年)佐藤寿人の加入(2017年)といった移籍の情報や、試合結果、監督の交代などの情報はちらほら入ってきていたけれど、グランパスの情報をしっかり追うことができずにいる期間が、すごく長かったのである。

だから純粋な年数でいえば13年目だけれども、ちゃんとしっかり追えるようになった時期はつい最近という感覚なので、
この記事を読んでくださっている方で、歴がわたしより短い方でも、わたしよりグランパスに詳しいことも多いのではないかと思っている。

2021

2016年の降格を経て、翌年はJ2へ。
昇格プレーオフの末、入れ替え戦でアビスパ福岡に勝利して1年でJ1に舞い戻ったグランパス。
2018年は15位、2019年は13位と下位に沈んだものの、2019年シーズン終盤で就任したマッシモ・フィッカデンティ監督のもとで、一気に2020シーズンは3位になった。

 先述のとおり、情報を追えなくなっていたわたしも、2018年頃からは再び余裕が出てきたのに加えて、ハイライト動画がYouTubeにアップされるようになったことで、遠方でもプレーを気軽に見られるようになり、当たり前のようにスーパーセーブを見せるランゲラックや、シャビエル、和泉や赤崎を好きになっていった。
それでもまだ現地での試合観戦から足は遠のいたままだったし、学生であることに変わりはなかったので、ユニフォームも買えずじまい。

観戦するならやはりユニフォームをと思っていたので、なかなか寂しかった。

そんななか、2021年のユニフォームが2020年の最終節に先行でお披露目されたことで、一気にわたしの現地観戦欲が再燃した。
これは冒頭でお伝えした『グラぽ』さんで書かせていただいたコラムにも書いたが、これを着て現地へ行けたらどんなに楽しいだろう、と思ったのである。

とにかくかっこいいなと思ったのが第一印象で、何か惹きつけられるようなものがあったかもしれない。

そして、このユニフォームをまとって戦った2021シーズンのグランパスは、開幕から6連勝、さらにランゲラックの無失点記録は823分間でリーグ記録となり、前年から続いて堅守の名古屋と言われる強さを発揮。

さらにシーズン開幕後、それまであまりサッカーに興味を示していなかった親友から、サッカーに興味を持ち始めたのでよろしくという突然の報告も飛んできた。
高校時代からの付き合いで気心も十分にしれた彼と、サッカーを久しぶりに現地で、一緒に見に行けたらきっと楽しいだろう。

……だれかに、『来るならいまだよスタジアムにおいでよ!』と言われている気がして、もうこの現地観戦欲を抑え込む理由はないなと思った。

意を決して、わたしはユニフォームを購入した。
やはりお世辞にも懐事情が良いとは言えなかったが、この前年、初めて見た試合で推しになった金崎鳥栖から名古屋に復帰していて、せっかくならと彼の背番号もつけてもらった。

そうして買ったユニフォームを身にまとって行くことが出来た2試合のうちの1試合が、あのルヴァンカップ決勝だったのである。

詳しくはグラぽさんの方を見ていただきたいが、
結果として2010年以来11年ぶりのタイトル獲得と、わたしがグランパスを見始めてからは一度も増えることのなかったユニフォームの星たちが、これを境に4つへと増えることになった。

8年ぶりに現地観戦を再開したその年に、同じユニフォームを着て、あの空間で、選手やグラサポの皆様と共に初制覇を喜べた体験は何ものにも代えがたい。
恐らくわたしは死ぬまで、『あの試合はほんとに凄かったんだ』という思い出話と、運悪く親友が前田直輝の1点目を見逃した話を、笑い話として一生語り続けていくのだと思う。


おわりに

……長々と回想にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

書いていて、色々なことを思い返しましたが、やっぱりわたしにとって2021年の10月30日のあの瞬間が間違いなくターニングポイントなんだな、と。

あの年から現地観戦に定期的に行くようになり、2022年のホーム最終戦では初めて豊スタへ行くこともかないました。

大人になったということも影響しているのは間違いないのですが、
遠のいてしまった間もやっぱりグランパスが好きで、今度こそ、今こそ、できるだけ動けるうちは追っていきたいという思いが強くなった、というのが一番の理由です。

ホームに気軽に行ける距離では無いけれど、来年もグランパスのユニを着て、応援が出来たらいいなあと思っています。
また豊スタに行きたい気持ちもあるので、その時はnoteにまたしたためてみるのもいいかもしれませんね……。

それでは、もし書けたら2024ルヴァンカップのルポでお会いできますと幸いです。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
お粗末さまでした。

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