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フェイクニュースがトレンド?

海外メディア中心に『フェイクニュース蔓延減少』が問題視されてる。

日本でもNHKドラマになったり、最新号のハーバードビジネスレビューが特集組んだり、時事キーワードになってる感じ。

でも、別にこれって新しい現象じゃないよね?昔から、言論誘導、世論操作、偏向報道、デマ、プロパガンダなんて日常茶飯事だったのになぜ今それが大きく取り沙汰されるのだろう?

一つの特徴と思われるのが、最近のフェイクニュースと呼ばれるものは、施政者や宗教団体や特定の利益団体がトップダウンで仕掛けるものばかりではなく、利益目当てや自分のポジション表明や存在表明、自己承認欲求のために、SNSを介して『ボトムアップ』で拡散してゆくこと。

そしてそれを施政者や各種団体が利用して、薪をくべたり、炎上させたりするメカニズムが複雑に入り組んでいて、ポジショニングが見えづらい。

あとホントに信じてしまい批判するモラリスト、面白がって拡散する一定量のオンラインエンジンがあること。ポジショントークが絡むこと。そこがかつてのマスメディアの偏向報道や施政者の世論操作と違う。

養老孟司さんも書いてるけど共感しますね。簡単に以下、そのメカニズムというか背景を箇条書きでまとめてみた。

●ユーザーは情報が増え過ぎて、判断や取捨選択に時間をかけたくない。
●とりあえず目につく面白いネタが欲しい。
●一個一個の情報はもはや薄まっていて重みがないのであまり深く考えない
●深い考察よりも『刷り込み』に反応するエモーショナル反応の方が楽である
●そもそも情報の正誤について大した問題だと考えていない
●デマを信じたい心理、センセーショナルなことに惹かれる心理
●煽りたい・炎上に薪をくべたい人が大量にいる
●そのニュースに賛同であっても反対であっても、その結果の自分に対するメリットや社会メリット、自分との関係が良くわからない
●自分の意見の社会への影響や投票の結果が想像できない。
●だから近視眼的な自分目線に走る
●社会全体から器の大きさや鷹揚さが減衰している。自分を守ることに精一杯なカツカツのヒトが多い
●賛成か反対か、肯定か否定かの二元論に陥っている。
●別に賛同したわけでもないのに、イイネだけで賛同したことになってしまう
●実は信じてるわけじゃなくて、サイレント、ポジ、ネガを常に問われていて、
●ネタとして著名人の未確認情報が使われやすい
●人との関係が人格やパーソナリティや一貫した信頼関係ではなく、単なる情報関係(薄い関係)に陥っている