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フラット化し過ぎた世界はちょっと困る。

縦社会・階層社会・階級社会からフラット化した社会へ……。
これって、普通に考えると、良い事のように感じられると思う。
上下関係や主従関係がなくなり、みんな平等にフェアに横一線で議論できる。民主主義が目指していたのは正にこれだ……。

でも、現状の社会…特に日本の社会で起こっていることは、想定していたのと何か違う気がしてる。その辺を紐解いてみたい。
端的に結論から言うと、今日本で起こっていることを図式化してみたのが以下の図だ。

左がインターネット浸透前の社会構造、右が今現在の社会構造のイメージだ。企業や団体内の支配構造・管理構造じゃなくて、社会として誰が偉くみえていて、リスペクトされてるか?という観点で描いている。
あくまでも私見ではあるが、ネットの普及前というのは世の中に明らかな上下関係があり、それを飛び越えて安易に口を聞けもしないくらいの、尊敬とか畏怖を伴っていたと思う。マスメディアというのは上位のヒトから下位のヒトへの発信メディアでしかなく、下位から上位へは簡単にコメントとかイイネとかできなかったからだ。

でも今は違う。物凄い経験や知識を持っていて世界的にも尊敬されている偉大な専門家や学者でも、普通の学生がSNSを通じて簡単にイイネしたり記事を引用したり、あろうことか意見したりコメントしたりできるのだ。
昔ならば恐れ多いような大先生や神のような天才に対して、面識もない人が気軽にコミュニケーションできる。
これはある意味良い事だが、物凄い弊害も生み出している気がする。
凡人とか経験のない子供、学生にとっては、その巨人や巨匠の偉大さや想像を絶するような努力などが実感できないのだ。お友達感覚で、偉大な人をフォローしたりイイネできてしまう。

もうひとつ。尊敬される人や職種の順位が変わった。
昔は、専門性の高い学者やスペシャリスト、アーチスト、エンジニアなどが頂点の位置を占めていた。それが今は、起業家や経営者、アイドル/インフルエンサー、論壇や評論家になって、専門家の地位が下がった。あとは政治家などのリーダーの地位も日本では極端に下がったね。
昔は実際にクリエイティブとかサービスとか技術とか商品を開発しない…言わば調整役であるところの経営者とか、プロデューサーの言う通りに踊らされるアイドルなどはあまり地位が高くなかった。評論家も同じかな。
自分で何かを生み出す人がカッコいいと考えられていた。

上の図を見て欲しい。ネット普及前と普及後に社会に起こったことを模式化したものだ。
これだけモノや情報が溢れてる中で、一つ一つのモノやクリエイティブそれ自体には中々陽が当たらなくなったということかな。それよりは大きな組織とか社会をリードしてるように見える起業家や経営者、お金を動かしてる人がカッコよく見えるのかも。ニッポンの現行政治家は官僚の上に乗っていて一見全くリーダーシップが無いよう見えるので論外(苦笑)。

さてさて、起業家や経営者やインフルエンサーが地位が低いと言ってる訳では決してない。
でもそれ以外の創造性が高くてかつ具現化力の高い人たち……新しいモノ・サービス・社会構造・世界観を作り出し行く人が尊敬される社会、そしてみんなが自分の頭で考えて時代を進めてゆく社会を取り戻すにはどうしたら良いだろうか?