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願い事に懺悔を込めて

人が書いた短冊を読むのが好きだ。

7月から8月にかけて日本全国各地で開催される七夕まつり。
大がかりな七夕飾りや模擬店と並んで、大抵は短冊が用意されている。

小さな子供から大人まで、したためられた色とりどりの願い事たちが風に揺れて。
この願い事にはどんなバックグラウンドがあるのだろうと、願いの持ち主の心情に一人想いを馳せながら、人々の熱気と夏の湿度がブレンドされた縁日の雑踏を眺める。

地元の子であろう中学生くらいのグループや、浴衣が似合うカップル。
その「場」があまりにも似合う人たちを目の当たりにすると、ガラス一枚隔てたショーケースの向こう側を見ているような気分になる。

もともと人付き合いが得意なほうではなくて、お世辞にも友人が多いとは言えない。
両親が信仰している宗教の関係で、深い友人関係を築くのが難しかった方というのも一理あるかも知れないけれど、多分、それだけじゃない。

それに気が付いたのは恥ずかしながら割と最近のお話。

何だかんだ言って、私の人間性に問題があるから人が離れて行ってしまうんだと思う。
卑屈で、斜に構えていて、皮肉屋。
賢いふりして正論を振りかざしていれば、そりゃあ心の広い友達だって愛想をつかして離れていくよね。

本当はビールじゃなくてラムネを片手に延々と語りあかせるような友人が居たらいいのだけれど、今の私にはそういう友人がいない。

今年は残念ながら七夕まつりの開催は軒並み中止になってしまったけれど、
今日ばかりはこのnoteという短冊に願い事という名の醜態を晒してみようではないか。

「友達ができますように」

最後までお付き合い頂きありがとうございました。ほんの少しでもあなたの心が軽くなりますように。